マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

道徳の概念が曖昧に思える理由

 ――道徳

 というと――
 何だか雲をつかむような概念ですから――

 30代くらいまでの僕は――
 正直にいえば、ほとんど興味にない概念でした。

 が――

 ……

 ……

 ――道徳とは、人の本能的な欲求に歯止めをかける理性的(悟性的)な規範の全てである。

 という考え方があるをことを知って――

(なるほど……)
 と――
 何かが腑に落ちたのですね。

 どういうことか――

 ……

 ……

 道徳の概念が曖昧に思えるのは――
 おそらくは――
 道徳が、人の本能的な欲求によって二次的に派生している概念だからです。

 生物種としてのヒトは――
 生物であるがゆえに――
 本能的な欲求を秘めている――

 つまり――
 人は、ヒトとして、本能的な欲求を一次的に生成している――

 その一次的な欲求を抑えるために――
 ヒトは、人として、理性的(悟性的)な道徳を二次的に構築している――

 そういう関係に――
 道徳と欲求とはあるに違いない――
 ということです。

 いいかえれば――

 道徳が欲求を生んでいるのではなく――
 欲求が道徳を生んでいる――
 ということですね。

 ……

 ……

 道徳の概念は――
 それを――
 人の本能的な欲求に基づいて整理し、把握しようとすれば――
 そんなに曖昧には感じられないはずです。

 が――
 人の本能的な欲求に基づかず、ただやみくもに整理し、把握しようとすれば――
 おそらくは――
 雲をつかむように感じられます。