ある歴史家の――
主語が三人称の文ばかり並べた著書を読んでいて――
そこに、燃えたぎる自我の吐き出す情念のようなものを感じとりました。
たしかに、自我が燃えたぎっているのです――
一人称の文が、ただの一つも混じっていないのに――
(これは、どうしたことか)
と戸惑っているうちに――
以前から抱いていた自分の直感を――
新たにしました。
すなわち、
――理念や観念で塗り固められた思念こそが、もっとも強烈な情念である。
と――
三人称の文が伝えることは――
それから具体性を剥ぎ取って抽象性だけを彫り出していけば――
最後は、理念や観念にいきつきます。
そうした理念や観念が膠(にかわ)の役目を果たし――
朴訥たる感情や情動の断片が円滑に繋ぎ合わされて――
情念となる――
その歴史家の著書は――
紛れもなく情念の塊でした。
燃えたぎる自我の吐き出す情念の塊です。
ただし――
一文一文を相当に注意深く読まない限り――
そこに燃えたぎる自我を感じとることはできません。
それは――
表面的には、三人称の文の連なりであり――
具体性という修飾が入念に施された理念や観念の集積でしかないのです。