マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

若い人を大抜擢するのなら

 ――あの人は、見た目は良いけど、中身がない。

 などといいますね。

 そういうときの「中身」とは――
 もちろん、人格であったり、能力であったり、志であったりするわけですが――

 たぶん――
 いちばん効いてくるのは、能力です。

 それも、

 ――コミュニケーション能力

 でしょう。

 他者と柔軟に意思を疎通させあう能力ですね。

 この能力があるからといって、常に「中身もある」といわれるわけではありません。

 が――
 この能力がないのに「中身もある」といわれることは、ほとんどありません。

 誰かの「中身」を評価するとき――
 唯一、頼りになるのは、その人のコミュニケーション能力です。

 その人のコミュニケーション能力を唯一の“覗き窓”として――
 その人の「中身」を見定めていきます。

 が――
 ここに落とし穴が隠されています。

 一般に――
 10代、20代の人たちは、コミュニケーション能力が、まだ十分には発達していません。

 10代、20代の人たちの“覗き窓”は――
 概して狭いのです。

 このことは――
 10代、20代の人たちの「中身」を正確に見定めていくことが――
 原理的に困難であることを示唆しています。

“覗き窓”が十分に広く穿たれていないのに、「中身」を見定めることなど――
 どんな目利きにも、できるわけがないからです。

 よって――

 例えば――
 ある会社で――
 野心的な経営者が

 ――あいつは、まだ25にもならないだが、見どころがある。あえて重く用いてみよう。

 と考え――
 入社して間もない若手社員を大抜擢したところ――
 その社員が、3年ともたずに不祥事を起こし、左遷せざるを得なくなって、

 ――私には、人を見る目がなかったか。

 と嘆息しているときに――
 その経営者へ送るのがよい言葉は、

 ――若者の抜擢には、常に、そうした危険が付きまとうものだ。

 というものです。

 もし、若い人を大抜擢するのなら――

 その人の「中身」を見定めるのは原理的に困難なので――

 それくらいの覚悟はしておかなければなりません。