マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

トランプ大統領の誕生で目が覚めた

 ジャーナリズムによって、

 ――アメリカ大統領、失格!

 の烙印を押されていたドナルド・トランプさんが――
 このほど、アメリカの大統領に正式に就任したことは――

 民主主義が普遍的価値の一つに位置づけられつつある現代社会において――

 ジャーナリズムが新たな均衡関係に引きずり込まれたことを――
 明確に意味しています。

 これまでは、ジャーナリズムは、国家権力に代表されるような公的権力との均衡関係を意識していればよかったのです。

 が――
 これからは、インターネットで発信力を得た一人ひとりで構成される民意との均衡関係も否応なく意識せざるを得なくなりました。

 もちろん――
 ジャーナリズムは、これまでも、公的権力との均衡関係は十分に意識していたはずで――
 これに加えて――
 これからは、民意との均衡関係も併せて意識する状況――いわば、

 ――鼎立の状況

 へと移行することでしょう。

 具体的には、

 ――公的権力が「正しい」ということに対し、それが本当に正しいのかを厳しく検証するのと同じように、民意が「正しい」ということに対しても、同様に厳しく検証する必要がある。

 ということと、

 ――自分たちが「正しい」と主張することで、ときに公的権力から糾弾されたり弾圧されたりする危険性があるのと同じように、ときに民意から侮蔑されたり無視されたりする危険性がある。

 ということとの2点です。

 つまり、公的権力と民意とジャーナリズムとが“鼎立の状況”――三すくみ状態――にあるということですね。

 厳密にいうと――
 実は、これまでも鼎立の状況にはあったのですが――

 これまでは、民意がジャーナリズムに対して、あまりにも弱かったので――
 その三すくみ状態を、ジャーナリズムは、ほとんど意識しないで済んでいたのですね。

 トランプ大統領の誕生で――
 ジャーナリズムは、いよいよ民意との均衡関係を強く意識することになるはずです。

 ところで――

 ……

 ……

 民意がジャーナリズムに対して相対的に強くなったのは――
 もちろん、インターネットの影響です。

 前述のように――
 民意を構成する一人ひとりがインターネットで発信力を得たことに起因します。

 こうした社会の変化は――
 今さら僕が指摘する意味など何もないといってよいでしょう。

 インターネットが普及し始めた1990年代以降――
 これまでに、膨大な数の識者によって、くりかえし指摘されてきたことです。

 が――
 この変化は、どうしても頭でっかちに理解されることでした――なかなか実感が伴わない――

 この変化に初めて実感を伴わせた事象が、

 ――トランプ大統領の誕生

 ではなかったでしょうか。

 ……

 ……

 少なくとも、僕にとっては、そうでした。

(「インターネットが社会を変えた」って、つまりは、こういうことか)
 と思ったのです。

 それは、
(目が覚めた)
 というのと似たような感覚でした。