マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「忖度し、斟酌する」の悪弊

 相手の心中を推し量ることを、

 ――忖度

 といい――
 十分に忖度をした上で、相手にとって良いように取り計らうことを、

 ――斟酌

 といいます。

 忖度や斟酌は――
 完全に対等かつ独立の個人の間で行われるぶんには、何ら問題はないのですが――

 例えば、組織の中で――
 個人の間に主従関係があったり依存関係があったりする場合には――
 深刻な弊害をもたらしえます。

 とくに――
 組織が意志決定を下す過程で、忖度や斟酌が頻繁に介在すると――

 その意志決定における組織の責任の所在が――
 曖昧になるのです。

 この場合の――
 忖度や斟酌の悪弊は、

 ――確認がないこと。

 です。

 心中を推し量って、良いように取り計らって、それでおしまい――
 一切の確認がない――

 これでは――
 責任の所在が曖昧になるのは当たり前です。

 そうではなくて――
 組織の意志決定を下す過程では――
 確認が徹底されればよいのです。

 つまり、

 ――忖度をし、確認をした上で、斟酌をする。

 です。

 ……

 ……

 まあ――
 いったん確認をしてしまったら――

 それは――
 もはや「斟酌」ではなくなるので――

 厳密には、

 ――忖度をし、確認をした上で、善処をする。

 とでもなるのでしょうか。

 ……

 ……

 この「善処」という言葉も――
 良し悪しですね(笑

 少なくとも組織の意志決定について、「斟酌」と「善処」とを比べると――
 何となく、「善処」のほうが、「斟酌」よりも悪くきこえます。

 ――「善処する」なんて、「何もしない」」というのと同じだ。

 というように――

 ……

 ……

 が――

 組織の意志決定で責任の所在を曖昧にしないという文脈では――
 むしろ、「斟酌」のほうが悪い言葉なのです。