いわゆる『三国志』で有名な「三顧の礼」は――
古代中国・三国時代――
後に蜀の皇帝となる劉備が、後に蜀の宰相となる諸葛亮を、三たび訪ねて臣下に迎えた――
とされる故事に由来しています。
史実として本当に3度も訪ねたかどうかは諸説があるようですが――
実際に1800年後の隣国・日本にまで伝えられているくらいですから――
その敬意の払い方が尋常でなかったことは、間違いないでしょう。
事実――
現代の日本社会においても――
「三顧の礼」は、地位や役職の高い者が地位や役職の低い者を招聘する際に破格の敬意を払う例えとして、よく言い習わされています。
――うちの部長は、むかし下請け会社から三顧の礼で引き抜かれてきたらしい。
というように――
破格の敬意が世間の耳目を集めるのは――
今も昔も変わりありません。
ところで――
……
……
この「三顧の礼」には少なくとも2種類あるということを――
僕らは、肝に銘じておく必要があります。
丁重に誘って明確に断られたにも関わらず、強引に誘い続けた結果――
相手が根負けをした――
という「三顧の礼」と――
丁重に誘ったが明確な返事がなかったため、明確な返事があるまで誘い続けた結果――
相手が覚悟を決めた――
という「三顧の礼」と――
の2種類です。
故事となった本物の「三顧の礼」は、“根負けをした”のほうではなくて、“覚悟を決めた”のほうでした。
劉備は、諸葛亮の庵を2度も訪ねましたが、2度とも留守であり――
3度目に訪ねた時には昼寝中であったのを――
わざわざ「このままでよい」といって目覚めるのを待っていた――
とされています。
……
……
3度誘って2度断られ、3度目の誘いで、とうとう相手を根負けさせた――
というのも――
たしかに、「三顧の礼」には違いありませんが――
でも――
それは、あきらかに、
――紛(まが)いもの
でしょう。