国家の求心力は、
――政権
――兵権
――権威
の3つの“権”に分けて考えることができそうだ、と――
僕は思っています。
「政権」とは、政治をつかさどる裁量のことで――
広い意味で、行政権だけでなく、立法権や司法権を含めます。
「兵権」とは、軍事をつかさどる裁量のことで――
その基盤は軍隊の能力や武器の性能です。
「権威」とは、国民が自発的に寄せる恭順の意志のことで――
その意志には、しぜんな敬意が伴います。
兵権は、警察権などと同様、本来は政権に従属するものですが――
軍隊の能力や武器の性能は、社会的にも物理的にも非常に強力であるため――
兵権は、政権からは独立しやすい傾向にあります。
ときには――
政権を兵権が無力化することさえ、あります。
いわゆる軍事クーデターです。
よって――
国家が求心力を安定的に維持するには――
これら3つの“権”のうち――
まず、“政権”によって“兵権”が確実に包括されている必要があり――
かつ――
その包括の関係性が“権威”によって穏当に把持されている必要があります。
ここで大切なことは――
その包括や把持の構造には普遍的な審美が存在しない、ということです。
例えば――
国家の内からは、どんなに美しく整っているようにみえても――
国家の外からは、やたらと醜く歪んでいるようにみえる――
ということが珍しくないのです。
むしろ――
国家の内外で同じ社会観や人間観が共有されていない場合は――
美醜が違ってみえるのは当たり前なのです。
いいかえるなら――
これら3つの“権”の包括や把持の様態について――
その構造が、国家の外からみて、審美的に整形されているかどうかと――
その構造が、国家の内において、合理的に奏功しているかどうかとは――
根本的には関係がない――
ということです。
つまり――
例えば、ある外国について
――おかしな国家にみえるからといって求心力がないとは決していえない。
ということです。