ふだんは、いたってマトモなのに――
おカネが絡むと途端、マトモでなくなる人がいます。
いわゆる「食べていくのに……」の釈明が通用する程度なら――
まあ、よいのですが――
そうでない場合は――
例えば、食べていくのには十分なおカネをすでに得ているにもかかわらず、さらなるおカネをめぐって頻繁に争いを起こしているような場合は――
(なんでなんだろうな~)
と、首を傾げたくなります。
ときには、
(ここまで変わるものなのか……)
と――
戦慄を覚えることさえ、あります。
これこそ、
――カネは人を変える。
の真理の一端でしょう。
あればあるだけ、いくらでも使えてしまうのが、おカネです。
それゆえに――
あればあるだけ、さらにもっと欲しくなる――
……
……
ちなみに――
この「カネは人を変える」の真理は――
ふつう、
――人は、ある程度のカネを手にすることによって、さらに多くのカネを少しでも手にしようと躍起になる。
という意味で理解されていますが――
たまに――
別の意味で使うべきことがあります。
――人は、ある程度のカネを手にすることによって、それ以上のカネは決して手にしないで済むように躍起になる。
という意味です。
例えば――
なじみのお店で何か物を買ったときに――
いつもお世話になっているからという理由で、代金よりも多くおカネを渡そうとすると、
――いやいや、とんでもない! そんなものは、ぜったい頂けません!
と躍起になって断る人がいるのです。
このような人は――
おそらくは、「カネは人を変える」の恐ろしさを身にしみてわかっている人ですが――
その恐がり方は、十分に、
――マトモでない。
といえます。
……
……
とはいえ――
その恐がり方を誰が責められましょう。
それくらいに、「カネは人を変える」の真理は峻厳である、と――
僕は思います。