マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「失敗が許されない」の深層にある過酷さ

 ――失敗をしないことが評価される。

 というのは――
 一般には、

 ――消極的すぎる。

 とか、

 ――建設的でない。

 と否定的にいわれますが――

 なかには、

 ――決して失敗をしないことが評価される地位ないし役職

 というのも存在しているようです。

 どのような地位ないし役職かというと――

 ……

 ……

 ――自分自身の仕事の最終責任を自分自身の手では決してとれない地位ないし役職

 だそうです。

 自分自身の仕事の最終責任を誰か別の人にとってもらうのですから――
 自分自身の仕事では、

 ――決して失敗をしないこと

 が唯一無比の目標となります。

 当たり前といえば、当たり前ですが――

 ……

 ……

 ここで留意するべきは、

 ――自分自身の仕事の最終責任をとれない。

 という点です。

 この点は――
 短期的には、仕事を楽にしますが――

 その見返りとして――
 中・長期的には、仕事を苦しくします。

 ただの一度も失敗が許されない――いかなる失敗も許されない――というのは――
 過酷な条件ですよ。

 もちろん――
 表層的な意味でも過酷なのですが――

 深層的な意味でも過酷なのです。

 人は、失敗をすることで、多くを学び、成長をします。
 それが許されない、というのですから――

 つまり、

 ――成長が許されない。

 というに等しいのです。

 間違いなく――
 過酷でしょう。

 ……

 ……

 以上は――
 現在、“自分自身の仕事の最終責任を自分自身の手では決してとれない地位ないし役職”にあると自認をしている人から――
 直に聞いた話です。

 凄味を感じました。