マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

死 = 生 (?)

 ――「いかに死ぬか」は、「いかに生きるか」と同じである。

 と、しばしばいわれます。

 この命題を――
 ふつうに解釈すると、

   死 = 生

 となって、
(なんのこっちゃ?)
 と戸惑うのですが――

 ここで――
 数学的ないし図形的な発想を取り入れると――
 解釈が容易になります。

 いま――
 人生を数直線上に表すと、

 ――出生と死去とは、それぞれが点であり、それら2点の間の線(線分)が人生である。

 と考えられます。

 このとき――
 もっとも大切なことは、

 ――出生も死去も点に過ぎない。

 ということです。

 点は位置しか担わず――
 点に大きさは、ありません。

 つまり――
 点は、厳密には、目に見えないものなのです。

 そのことは――
 線(線分)の両端に点を見出すのが困難であることからも、よくわかるでしょう。

 よって、

 ――人生は目に見えても、出生や死去は目に見えない。

 のですね。

 ……

 ……

 ほとんどの人が気にするのは――
 出生よりも死去でしょう。

 出生は、物心がつく前に、すでに終えてしまっていますから――

 ……

 ……

 その死去は、

 ――点

 です。

 目に見えません。

 目に見えるのは、死去の手前の人生のみ――

 ……

 ……

 このように、

 ――「いかに死ぬか」は、「いかに生きるか」と同じである。

 というのは――
 きわめて数学的ないし図形的な発想に立脚しています。