新聞や雑誌のコラムなどは――
基本的には、見出しをみてから、読むか読まないかを決めるものだと思いますが――
その見出しから感じとれる筆者や編者の主張に――
僕は、いつも着目するようにしています。
その主張が、
(それは、そうだろう)
と、すぐに納得できるときには――
僕は本文を読みません。
反対に、
(それは違うぞ)
とか、
(なんか変だな)
と疑念がわくときには、本文をじっくり読みます。
ちょっと、ひねくれ者かもしれませんね(苦笑
なぜ、そんなふうにしているかというと――
そうすることで――
自分自身の思考の醸成や見解の形成でバランスがとれるのではないかと、期待をしているからです。
「それは、そうだろう」と思う見出しのコラムばかりを読んでいたら――
バランスは崩れるでしょう。
たちまちのうちに考え方が凝り固まってしまうに違いありません。
それはそれで、楽になるかもしれませんが――
知的には退屈するでしょう。
知的に退屈しないためには――
知的に興奮することです。
もっとも興奮するのは――
それまでの理解や考え方が、事実や論理に基づき、明快に否定されるときです。
そんな興奮する機会をみすみす逃すのは、
(ちょっと、もったいない)
と思います。
それとは別に――
考え方が凝り固まってしまうと――
もっと日常的で具体的な問題が生じてきます。
それは――
あえて誰かと深く話しこまなくなる――
ということです。
考え方が凝り固まってしまうと――
深く話しこむことによって――
うっかり喧嘩になってしまうかもしれないからです。