マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ネット社会が壊したもの

 ネット社会が作り上げたものは、いくつもあると思いますが――

 ネット社会が壊したものも、いくつかありますよね。

 壊したもので――
 看過できないものが、

 ――活字の権威

 でしょう。

「活字の権威」とは、

 ――活字で表された情報を受けたときに感じる情報や情報源の権威

 です。

 この権威が壊されたことには――
 良かった点と悪かった点とがあります。

 良かった点は――
 個人が活字を気後れすることなく使えるようになったことです。

 その結果――
 個人による情報の発信の効率性や確実性が格段に上がりました。

 活字は、一般に、手書きの字よりも読みやすく、また量産が容易なので――
 情報の発信の確実性や効率性を否応なく高めます。

 悪かった点は――
 情報の内容の正確性や信頼性の判断が難しくなったことです。

 万人が活字を情報の発信に使えるようになったことで――
 不正確で信頼しがたい情報さえも、効率よく確実に発信できるようになりました。

 ネット社会が到来する前は――
 活字で発信された情報は、活字というだけで、ある程度の正確性や信頼性が担保されていたものです。

 が――
 今は、そんなことは、まったくありません。

 情報の受け手は、情報が活字になっていようがいまいが――
 その正確性や信頼性の判断に、相当な覚悟をもってあたらなければならなくなりました。

 さもないと――
 だまされてしまうからです。

 ところで――

 ……

 ……

 活字の権威が壊されたことで――
 思わぬ社会状勢が生まれました。

 伝統的に活字で情報を発信していた機関――例えば、新聞や雑誌といった言論機関――の正確性や信頼性が、揺らぎ始めたことです。

 今日のネット社会では――
 極端な話――
 新聞や雑誌によって、客観的な取材と普遍的な学識とに基づいて発信された情報も――
 個人や有志団体によって、主観的な体験と偏向的な信念とに基づいて発信された情報も――
 どちらも同列に扱われる傾向があります。

 少なくとも――
 取材の客観性や学識の普遍性に無頓着な人にとっては――
 新聞や雑誌の記事は、個人や有志団体の投稿文と大差がないように感じられるのですね。

 新聞や雑誌の正確性や信頼性が揺らぐのは当然の帰結といえます。

 こうした社会状勢を悲観的にとらえる向きがありますが――
 僕は、わりと楽観的にとらえています。

 活字の権威が壊されたことで――
 たしかに、新聞や雑誌といった言論機関の権威は揺らぎ始めましたが――
 その揺らぎは、新聞や雑誌に活字の権威の上であぐらをかかせないようにするという意味では、社会全体にとって、歓迎すべきことです。

 言論機関の権威は、言論の質によってのみ――取材の客観性と学識の普遍性とによってのみ――もたらされるのが筋です。

 権威が既得権益であってはならないはずです。