マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人工知能に怯えることはない

 人工知能が、近い将来、人の職業を次々と奪っていく――

 そんなふうに声高にいわれるようになって――
 何年か経ちます。

 昨今では――
 僕の身の周りでも、

 ――えらいこっちゃ!

 と真剣に心配し始めている人たちが――
 ちらほらと出始めています。

 が――
 基本的には、

 ――人工知能と人の知能との関係性

 を理解しておけば――
 そんなに心配する必要はないでしょう。

 少なくとも――
 人工知能に怯えることはありません。

 ……

 ……

 人工知能というのは――
 結局のところは――
 これまでに人の知能が担ってきた知的活動の一部を、人よりも桁違いに効率よく、実行している――
 ということにすぎません。

 たしかに――
 人工知能が担える知的活動について――すなわち、過去の情報に基づく判断について――人は、人工知能には決してかなわないのですが――
 それ以外の知的活動については――すなわち、過去の情報が存在しない新奇の事物に関する判断については――人工知能は、人にはかなわないのです。

 鍵となるのは、

 ――過去の重要性の相対化

 です。

 もし、あなたが人工知能との競争に負けたくないと思うのなら――
 過去の情報に基づく判断は、さっさと人工知能に任せてしまい――
 過去の情報が存在しない新奇の事物にのみ、強い関心を抱くように努めればよい――
 ということになります。

 ……

 ……

 人工知能と人の知能との関係性をつぶさに俯瞰すれば――

 近い将来――
 教育の主題は確実に様変わりすると考えられます。

 とくに、

 ――真の勉強とは何か。

 との問いに焦点が当てられるはずです。

 おそらく、

 ――勉強とは、いったん過去を学んだ後、過去をきれいに忘れることである。

 となるに違いありません。

 過去というのは――
 ふつうは教科書に書いてあります。

 よって、

 ――勉強とは、いったん教科書を学んだ後、教科書をきれいに忘れることである。

 ということになります。

 平たくいうと、

 ――覚えても仕方がない。

 ということです。

 何しろ――
 人には、教科書に載っている情報を、人工知能よりも効率よく活用することは、とうてい不可能なのですから――

 ところで――

 ……

 ……

 いま気づきましたが――

 ――いったん教科書を学んだ後、教科書をきれいに忘れること

 というのは――

 勉強ぎらいの学生が一夜づけの試験勉強だけで単位を集めるのと――
 ほぼ同じですね。

 案外、

 ――勉強ぎらいの学生こそ、真の勉強を先取りしていた。

 といえるのかもしれません(笑