鎌倉期の北条氏については――
きのうの『道草日記』でも触れた“劇的な滅亡”の顛末もさることながら――
もう一つ特筆すべき点があります。
それは――
本家の当主や跡継ぎが20代~30代での若死にを繰り返した――
という点です。
少なくとも60代くらいまで生きながらえています。
が――
4代執権になるはずであった北条泰時の跡継ぎが20代で病没したのを皮切りに――
以降、滅亡時の北条高時に至るまで――
のきなみ四十路を待たずに亡くなっているのですね。
もちろん――
北条高時の若死には、戦に敗れてのことですから、さておくとして――
その1つ前の代の北条貞時までは――
いったい、どうしたことでしょうか。
……
……
一つは遺伝負因が考えられます。
北条氏は近親結婚を厭いませんでした。
なるべく新たな外戚をもたないことで――
自分たちの影響力が衰えるのを避けたと考えられます。
この方針によって遺伝負因が蓄積し――
当主や跡継ぎが病弱に生まれついてしまった可能性が否定できません。
あるいは――
当時の平均寿命を考慮する必要もあるでしょう。
鎌倉期の平均寿命は推定35歳――
乳幼児の死亡率が高かったことから――
多少は差し引いてとらえる必要はありますが――
それでも――
当時は40代まで生きながらえるのが大変であった事実は動きません。
北条氏も例外ではなかった――
ということです。
……
……
以上――
近親結婚説や平均寿命説は――
それなりの説得力を持ちますが――
そうであるならば――
逆に――
なぜ、3代執権の北条泰時までは長命であったのか――
ということが気になります。
近親結婚説を採れば、
――遺伝負因が4代目から唐突に現れた。
と考えれば説明はつきますが――
ちょっと不自然です。
平均寿命説を採れば――
どのように考えても説明は難しくなります。
……
……
第3の説を考えてみましょう。
鍵を握るのは、
――承久の乱
です。
正確には、
との見解です。
続きは、あす――