マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

忖度の良し悪しの根幹

 ――忖度

 というと――
 何だか酷くニュアンスの悪い言葉として認識され始めましたが――

 当然ながら、「忖度」それ自体は、

 ――他者の心をおしはかって配慮すること

 という意味の言葉であり――
 あくまでも中立的なニュアンスです。

 よって、「忖度」には、

 ――良い忖度

 と、

 ――悪い忖度

 とがある――
 というのが本来の理解でしょう。

 これら2つ「忖度」のうち、「悪い忖度」の典型が、

 ――自分の利己主義を相手に忖度させる。

 の意味での「忖度」であろうと思います。

 この種の忖度が最もトラブルを招きやすいのではないか、と――
 僕は感じています。

 この場合――

 もくろみ通り、相手が忖度してくれれば――
 その相手が、利己主義の肩代わりのために周囲とトラブルになるでしょうし――

 相手が忖度を拒めば――
 その相手と利己主義を押し通したい自分との間でトラブルになるでしょう。

 では、「良い忖度」の典型は何か――

 ……

 ……

 ちょっと難しいのですが――

 おそらく、

 ――自分の利他主義を相手に忖度させる。

 です。

 この場合――

 もくろみ通り、相手が忖度してくれれば――
 その相手は、利他主義の肩代わりによって周囲からリスペクトされるでしょうし――

 相手が忖度を拒めば――
 その相手が利他主義を活かして周囲からリスペクトされるチャンスを失うだけです。

 ……

 ……

 以上のことからわかるように、「忖度」は対人関係の構造を示しているにすぎません。

 ――自分の○○主義を相手に忖度させる。

 という構造です。

 この「○○」に「利己」が入れば「悪い忖度」で、「利他」が入れば「良い忖度」です。

 忖度の良し悪しの根幹は、きわめてシンプルです。