マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

歴史は「暗記科目」でも「考える科目」でもなく

 歴史を、

 ――考える科目

 にしようという機運が――
 高まっているとききます。

 けっこうなことです。

 歴史を「暗記科目」と理解したがゆえに歴史嫌いになった人たちを――
 何人も知っています。

 が、

 ――言うは易く、行うは難し

 です。

 歴史は暗記科目ではないという見解を――
 僕は全面的に支持しますが――

 かといって――
 直ちに“考える科目”に変えるのは簡単ではないと感じます。

 ……

 ……

 歴史は――
 どうやったら“考える科目”に変えられるでしょうか。

 カギは――
 歴史に関し、「考える」の対象となりうる主題ないし事項を数多く設定できるかどうか――
 です。

 そのような主題や事項を――
 人は、そんなに多く設定できるものでしょうか。

 ……

 ……

 歴史を“考える科目”に変えようと思っている人たちの念頭にあるのは――
 おそらく、理科の物理や化学、生物、地学でしょう。

 理科は、数学や現代文ではないにせよ、けっこう考えさせる科目です。

 が――
 理科は自然科学ですから――
 実験や観察に基づく命題の真偽判定という過程が一般的です。

 この過程は、「考える」の対象に適しています。

 歴史は、社会科学ないし人文科学です。
 実験や観察に基づく命題の真偽判定は、どちらかといえば例外的です。

 参考にはなりにくいでしょう。

 ……

 ……

 原理主義的なことをいえば――

 歴史は、

 ――考える科目

 ではなく、

 ――感じる科目

 ではないか、と――
 僕は思っています。

 感じたことをもとに考える――
 感じたことを言葉で表すために考える――

 それが歴史という科目の本来の特質ではないかと思うのです。