マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

資質か環境か――「環境」と考えたがる理由

 人の能力は持って生まれた資質(遺伝)と生まれ育った環境(家庭・学校)との双方に依る――
 という考え方が――
 今日の主流かと思いますが――

 なかには――
 今日でも、

 ――持って生まれた資質には依らず、生まれ育った環境だけに依る。

 と考えたがる人たちがいるそうです。

 その考えは――
 結論に至る論理の過程で自然科学的な誤謬を含んでいる、と――
 僕は考えますが――

 それでも――
 その結論がもたらす教育方針それ自体は、
(正しい……)
 とも思います。

 少なくとも親や教師は、

 ――子の能力は生まれ育った環境だけに依る。

 と、自分たちが率先してみなすことで――
 教育方針に万全を期せるようになるでしょう。

 例えば――
 目の前の子の学習の成果が今一つ物足りないときに、「環境だけに依る」と考える親や教師は、とりあえず「資質が不十分ではないか」と疑うことを忘れ、環境を最大限に調える努力をするに違いないのです。

 その結果――
 親や教師の努力は――
 もし、「資質が不十分ではないか」との疑いが晴れなかった場合には――
 無意味であるかもしれないのですが――

 もし、疑いが晴れた場合には――
 大変に意義深いものになります。

 ――生まれ育った環境だけに依る。

 とみなすことは、

 ――この子は、おそらくは資質が不十分なのだ。

 と怠慢的に考える誘惑を断ち切れるという意味で――
 大変に、
(けっこうなことだ)
 と感じます。