マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

クラリス・バルカの物語

 紀元前2~3世紀のカルタゴの将軍ハンニバル・バルカの戦いの物語は――
 ハンニバル・バルカをそのままに主人公として描くのではなく――
 例えば、

 ――クラリス・バルカ

 という女の将軍を主人公として描くほうが、ずっと良い物語になる――
 ということを――

 おとといの『道草日記』で述べました。

 ここでいう「良い物語」とは、

 ――面白くて、迫力があって、受け手の印象に強く残る物語

 くらいの意味です。

 ハンニバル・バルカは――
 兵力5万余りの大軍団を率いて冬のアルプスを越え――
 兵力8万から成るローマ軍を包囲・殲滅した将軍です。

 その人物が女性というのは――
 ふつうは、ありえないわけで――

 そんな離れわざを物語の中でやってのけるクラリス・バルカという女性は――
 いったい、どんな人物なのか――

 どんな登場人物として描けばよいのか――

 その点を考えていくところから――
 クラリス・バルカの物語は紡がれていくでしょう。

 きのうの『道草日記』で述べたように――
 物語は3つの要素から成ります。

  1) 舞台設定
  2) 発生事象
  3) 登場人物

 の3つです。

 クラリス・バルカの物語では――
 これら3つの要素うち、3) 登場人物については、

 ――すごくフィクショナル

 でよいのです。

 大軍団を率いて冬のアルプスを越えたり、ローマ軍を包囲・殲滅したりする女性です。

 もう、宇宙人でよいでしょう。

 超人的な身体能力を持ち――
 ケガを負っても、すぐに治ってしまう――どんな寒さ・暑さにも耐え、1年くらい食べなくても痩せ細ったりしない――
 それでいて、容貌・姿態は地球人の女性と全く同じ――いや、むしろ若くて美しい外見であったりする――

 そんな女性なら――
 たしかに大軍団を率いて冬のアルプスを越えたり、ローマ軍を包囲・殲滅したりしても、おかしくはないでしょう。

 実をいえば――
 宇宙人である必要もないのですね。

 別に、地底人でもよい――あるいは、魔女でも妖精でもよい――

 とにかく――
 超人的な身体能力をもっていて、かつ、ふつうの人間と同じようにコミュニケーションがとれ、同じような外見をしていれば――
 それでよいのです。

 このように――
 クラリス・バルカの物語は、どこまでも荒唐無稽です。

 ただし――
 荒唐無稽なのは、3) 登場人物だけでして――

 1) 舞台設定や2) 発生事象については――
 できるだけリアルに整えます。

 舞台は、紀元前2~3世紀の地中海沿岸部――あるいは、それとよく似た架空の地域――に設定します。
 事象は、紀元前2~3世紀のカルタゴ対ローマの戦役――あるいは、それとよく似た架空の戦役――を発生させます。

 3) 登場人物の造形を荒唐無稽にしていますから――
 物語の展開の辻褄を細かく合わせるには――
 おそらく、史実の地中海沿岸部や史実の第二次ポエニ戦争カルタゴ対ローマの戦争)に基づきすぎないほうが――
 むしろ、リアルとなるでしょう。

 もちろん――
 クラリス・バルカの物語では――
 クラリス・バルカのような超人は、他に一人も存在しない、とします。

 もし、存在しているとすると――
 たぶん物語の展開のどこかで超人同士の闘いが起こることとなり――
 舞台設定も発生事象も、そんなにリアルではなくなってしまうでしょう。

 そうなってしまえば――
 クラリス・バルカの物語は、ハンニバル・バルカの物語からは大きく逸れていきます。

 たぶん、

 ――歴史物SFアクション

 みたいな特異な物語になるでしょう。

 それは、それで、けっこう面白そうな気もしますが――
 そうなったら、物語を一から練り直す必要がありますから――
 ここでは取り上げません

 クラリス・バルカは――
 あくまで、ハンニバル・バルカと同じように――
 冬のアルプス(それとよく似た山脈)を越え、カンナエの戦い(それとよく似た戦い)で敵軍を包囲し、殲滅するものの――
 何ら戦略上・外交上の成果をあげることなく、むなしく母国へ帰還をし――
 今度は自軍が敵軍によって包囲殲滅させられる――

 そういう物語が――
 マル太の考える“クラリス・バルカの物語”です。

 この物語で焦点が当たるのは――
 当然ながら、例えば、「外交のために戦略があり、戦略のために戦術がある」といった国家興亡の論理ではなくて――
 数多くの将兵が、いかにして超人の女性のカリスマに魅了され、過酷な遠征に付き従ったか、という人間模様です。

 もちろん――
 そんなカリスマに魅了され、付き従ってしまう将兵は――
 たぶん、男としては、大いに問題ありといわざるをえないのですが――

 クラリス・バルカの造形の“いい加減さ”から、

 ――そういう問題は、今は「問題」として認識しないで欲しい。

 というメッセージが強く発せられていますので――

 とくに支障はないのです。