マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

誰の感情が問題であったか

 感情の問題で大切なのは、

 ――誰の感情か。

 ということです。

 そして――
 そのことを、きちんと課題に挙げて――
 問題の解決を目指すことです。

 その際に――
 誰かの感情のことを、決して感情的にならず、理性的に扱う必要があります。

 直情的に誰かを糾弾したりせず――
 斜に構えて皮肉屋になったりするのは――
 よくありません。

 感情の問題がこじれるとき――

 それは――
 その問題に関わる全ての人たちの感情が、軽視できないときです。

     *

 ――サッカー日本代表監督の電撃解任は、結局は感情の問題であろう。

 ということを――
 きのうの『道草日記』で述べました。

 では――
 誰の感情が問題であったのか――

 ……

 ……

 もちろん――

 一義的には――
 解任した側や解任された側の感情の問題です。

 が――

 サッカー日本代表チームに関わる全ての人たちの感情も、
(問題であったに違いない)
 と――
 僕は思います。

 ……

 ……

 思うに――

 いちばん大きかったのは――
 日本のサッカーファンの感情です。

 サッカー日本代表チームは、プロ・スポーツのブランドです。

 プロ・サッカーのマーケットの国際的な隆盛をみれば――
 サッカー日本代表チームは、日本のプロ・スポーツの象徴的な存在といってよいでしょう。

 プロ・スポーツである以上――
 ファンの感情は、決して軽視できません。

 が――
 そのファンの感情を――
 誰かが軽視していた――

 そのことが――
 一連の“電撃解任”騒動を引き起こしたといえるように思います。

 もちろん――

 その「誰か」というのは、たぶん1人ではないし――
 その「ファンの感情」というのも、たぶん一様ではないのですが、

 ――誰かがファンの感情を軽視した。

 という視点は――
 大変に重要だと感じます。