マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「常識」の幻想性の危うさ

 ――「常識は人によって違う」などと愚かなことをいうな!

 という主張をみかけました。

 曰く、

 ――常識とは、社会で広く共有されている知識や理解のことであるのだから、もし、人によって違うのであれば、語義上、それを「常識」とは呼びえない。

 という主張です。

(一理あるな)
 と思いました。

 と同時に――

(そりゃ、そうだけど……)
 と――
 思わず苦笑いを浮かべてしまったのも事実です。

 ……

 ……

 たしかに――
 社会で広く共有されている知識や理解を、

 ――常識

 と呼ぶのですが――

 残念ながら――
 その常識が、本当に社会で広く共有されているかどうかは――
 常に疑ってかかる必要があるのです。

 多くは、「社会で広く共有されている」と思い込んでいる――あるいは、思いたがっている――だけであり――

 実際には――
 個人の考える常識の内実は、驚くほどに多様であったりします。

 いわゆる「常識」には、

 ――幻想

 のようなところがあります。

 危うい幻想です。

 互いの常識の違いに気づかず――
 ときに取り返しのつかない仲違いをしてしまったりするのが――
 人です。

 ――常識は人によって違う。

 の警句は――
 「常識」の幻想性の危うさを指摘しているのです。