マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

一見カリスマがあるように思われた

 ――とにかく照れないことがカリスマの源泉だ。

 といったことを――
 きのうの『道草日記』で述べました。

 照れることなく、相手の心にジンワリ響く温かな心遣いが可能であること、ないし可能である人が、

 ――カリスマ

 である、と――

 ……

 ……

 述べたあとで――
 ちょっと後悔しました。

(「照れない」ということを強調しすぎたかもしれない)
 と思ったのです。

 実際には――
 照れないこと以上に、相手の心にジンワリ響く温かな心遣いが大切なのです。

 こうした心遣いができなければ――
 いくら照れないことが得意であっても――
 カリスマとはなりえません。

 ……

 ……

 最近――
 異性に対して、まったく照れた素振りをみせずに卑猥な発言を繰り返していたらしい人の話をききました。

 本来――
 こういう人にカリスマは無縁です――ジンワリ響く温かな心遣いが感じられないので――

 が――
 その人は、すこぶる社会的地位の高い人でした。

 権威のある巨大組織の中で、大いに出世したのです。

(照れないことが得意だったから、たぶん一見カリスマがあるように思われたんだろうな)
 と思いました。