マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

感情の安全保障(6)

 感情の安全保障の基本は――
 例えば、

 ――“何となくの恋愛感情”を“真の恋愛感情”と錯覚しないようにすること

 であると――
 きのうの『道草日記』で述べました。

 それは――
 その通りなのですが――

 ……

 ……

 以上の主張は、

 ――もし、感情の安全保障に執心しすぎると、味気ない人生が待っている。

 ということも示しています。

 例えば、

 ――“何となくの恋愛感情”を“真の恋愛感情”と錯覚しないように!

 と強く意識するあまり――
 “何となくの恋愛感情”が“真の恋愛感情”に変化しているのに――
 その変化に気づけず――
 貴重な純愛の機会を享受し損ねる――
 ということが起こりえます。

 ふつう――
 愛は恋から始まりますが――

 なかには――
 愛から始まる恋もあるのです。

 例えば――

 最初は、まったく恋愛感情を抱いていなくても――
 そのうちに、“何となくの恋愛感情”を抱くようになり――

 やがて――
 3年が経ち――
 5年が経ち――
 10年が経っていくうちに、

 ――あれ?

 と思う――

 ――この人が、いつの間にか、かけがえのない存在になっている。

 と――

 そんなふうに、“真の恋愛感情”に気づくには――
 たぶん、

 ――感情の安全保障

 は邪魔となります。

 ――いやいや、感情を操作されてはいけない!

 などと思って――
 自ら純愛の機会を握りつぶしてしまう――

 ……

 ……

 いわゆる、

 ――安全保障

 という考え方は――
 強く意識しすぎると――
 ダメですね。

 国家の安全保障についても――
 たぶん同じことがいえるのですが――

 感情の安全保障を強く意識しすぎると――
 ありふれた幸せをとりこぼします。