マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

恋が激しくなるとき、ならないとき

 危機感覚が強まると――
 人は、

 ――生殖欲求が強まる。

 と考えられています。

 人は――
 個体の生存が脅かされていることを感じとれれば――
 生物種であるヒトとして、何とか子孫を残そうと本能的に躍起になるため――
 と説明されます。

 以上を単純に記述すると、

  危機感覚が強まる ⇒ 生殖欲求が強まる

 です。

 「⇒」は、「ならば」で置き換えられます。

 ……

 ……

 「危機感覚が強まる ⇒ 生殖欲求が強まる」の話を見聞きするとき――

 僕は、決まって、
 対偶を考えたくなるのですね。

 対偶とは――
 ある仮定から、何らかの結論が得られるときに――
 その結論の否定から、その仮定の否定が、論理的必然性にもとづき、得られることをいいます。

  A ⇒ B

 の対偶は、

  Bでない ⇒ Aでない

 です。

 つまり、

  危機感覚が強まる ⇒ 生殖欲求が強まる

 の対偶は、

  生殖欲求が強まらない ⇒ 危機感覚が強まらない

 です。

 つまり――

 人は――
 生物種であるヒトとして、何とか子孫を残そうと本能的に躍起にならなければ――
 個体の生存が脅かされていることを感じとれない――
 と説明されます。

 ……

 ……

 先月28日の『道草日記』以来――

 僕は、

  恋 ≒ 生殖欲求

 の図式に繰り返して触れてきました。

 この図式を、

  危機感覚が強まる ⇒ 生殖欲求が強まる

 や、

  生殖欲求が強まらない ⇒ 危機感覚が強まらない

 に代入すると、

  危機感覚が強まる ⇒ 恋が激しくなる

  恋が激しくならない ⇒ 危機感覚が強まらない

 を得ます。

 これら命題をみて――
 僕は、
(腑に落ちる)
 と感じます。

 恋とは、多分にそういうものだ、と――
 僕は思っています。