マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

餓(うえ)と恋(こい)との比較

 生物種としてのヒトの存続や本能に関わる4分割表、

            存続の本能 存続の停止
  個としてのヒト    餓       死
  種としてのヒト    恋       滅

 を――

 おとといの『道草日記』でお示ししました。

 ……

 ……

 この4分割表をみていると――
 さまざまな疑問が湧いてきます。

 第一には――
 きのうの『道草日記』で述べたように、

 ――なぜ、右上と左下だけに、人の関心は向かうのか。

 という疑問です。

 ――なぜ、人は、個の飢餓や種の絶滅には、死や恋ほどの切実な興味を抱かないのか。

 ということですね。

 ……

 ……

 それ以外にも――
 例えば、

 ――「餓」と「恋」とは、なぜ、こんなにも違った趣きを、人々に感じさせているのか。

 とか、

 ――ヒトの「滅」を自分の「死」と同じくらい切実に捉える人が少ないのは、なぜか。

 とか――

 ……

 ……

 とりわけ、「餓」と「恋」との比較は――
 少なくとも僕には、かなり興味深く感じられます。

 ――餓(が)

 ――恋(れん)

 というように――
 漢語らしい概念として認識すると――
 何となく似たような雰囲気といえなくもないのですが、

 ――餓(うえ)

 ――恋(こい)

 というように――
 和語らしい概念として認識すると――

(えらい違いだな)
 と思います。

 誰かが誰かに恋をする話に――
 浪漫的な雰囲気を感じる人は少なくないと思います。

 が――
 空腹が極まって餓える話には――
 殺伐的な雰囲気しか感じない人が多いのではないかと思います。

 恋で小説を書いたり、恋で映画を撮ったりする人は、ぜんぜん珍しくありませんが――
 餓で小説を書いたり、餓で映画を撮ったりする人は、かなり珍しい――

 そういう小説や映画を楽しみたいという人も――
 たぶん珍しいに違いありません。