マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

滅を思え?

 生物種としてのヒトの存続や本能に関わる4分割表、

            存続の本能 存続の停止
  個としてのヒト    餓       死
  種としてのヒト    恋       滅

 を――

 4日前の『道草日記』以降――
 繰り返しお示ししています。

 ……

 ……

 ――死を思え。

 という言葉がありますね。
 もとはラテン語で、

 ――Mement mori.

 といいました。

 ――人は、いつかは自分も死ぬ身であるということを、忘れずに生きるのがよい。

 というのが――
 その真意です。

 この言葉が今日までに言い伝えられてきた背景には――
 当然、

 ――死

 が、

 ――恋

 とならんで――
 人にとって抜き差しならぬ概念であったから――
 に、ほかなりません。

 日頃から死のことを思わずに、うっかり漫然と暮らしていると――
 自分の死期を悟ったその瞬間に、激しく後悔をする――
 という経験知――
 人類が太古の社会より脈々と受け継いできた経験知――
 といえましょう。

 ……

 ……

 以上のことを――
 冒頭の4分割表を眺めながら思うとき――

(「滅を思え」という言葉は、どうだろう?)
 ということを――

 ふと考えました。

 種の絶滅のことをラテン語で何といっていたのかは――
 僕にはわかりませんが――
 とにかく、

 ――滅を思え。

 という言葉が、

 ――死を思え(Memento mori)。

 と同じくらいの意義や価値をもちうるのか――
 という問題意識です。

 ……

 ……

(たぶん、もちえない)
 というのが――

 現時点での――
 僕の考えです。

 ……

 ……

 ひと昔まえに――

 あるテレビ番組の座談会で――
 当時の新進気鋭の生物学者(であったと記憶している方)が、

 ――未来の人類の滅亡のことを考えたら、現代の人々の営みの全ては虚しく感じられる。

 と語っていらしたのを――
 覚えております。

 たしかに、その通りです。

 たとえ自分が死んでも――
 自分の子孫や自分の家族・親族・友人・知人の子孫たちは生き続ける――
 と信じられるからこそ、

 ――死を思え。

 という言葉が――
 虚しさを帯びないで済んでいるようなところがあります。

 ――滅を思え。

 だと――
 そうはいかない――

 ――滅

 とは――
 自分の子孫や自分の家族・親族・友人・知人の子孫たちの全てが死んでしまうことですから――

(そんなことは、できれば考えたくない)
 というのが――
 偽らざる人情に違いありません。