存続の本能 存続の停止
個としてのヒト 餓 死
種としてのヒト 恋 滅
を眺めていて――
やはり気になるのは――
(なぜ右上と左下だけのか)
ということです。
つまり、
(人は、なぜ餓や滅は、それほどには気にせず、死や恋を、これほどまでに気にするのか)
という問いですね。
……
……
――死や恋には意味を求めたがるからだ。
という答えがあります。
人は、餓や滅には意味を求めないが、死や恋には意味を求めたがるから――
ということです。
意味のない餓や滅には耐えられるが――
意味のない死や恋には耐えられないから――
ということも、できるかもしれません。
……
……
では――
なぜ人は死や恋には意味を求めたがるのかといえば――
きわめて常識的に答えるなら――
それは、
――頻度
でしょう。
つまり、
――死や恋の頻度は、人にとって、つい意味を求めたくなる頻度だから――
ということです。
死も恋も、ある程度の頻度で発生しています。
もちろん――
死については――
自分の死は一生で1回きりですが――
家族・親族・知人・友人の死を含めれば、わりと高頻度です。
恋については――
自分の恋でさえ、わりと高頻度であり――
家族・親族・友人・知人の恋も含めれば、さらに高頻度です。
ところが――
餓となると、今度は、あまりにも高頻度すぎるのですね。
満足な摂食をしなければ――
餓は日に何度か――あるいは、週に何度も――発生します。
滅については、逆に低頻度すぎて、ほとんどゼロに近い――
たまたまヒトの絶滅する時代に居合わせてしまう世代以外にとっては、厳密にゼロです。
ただし――
他の生物種の滅を含めれば――
状況は一変します。
近年、生物種の絶滅の頻度が急激に増しているらしい――
という話をききました。
300年ほど前は――
3年に1種ほどが絶滅していて――
100年ほど前は――
年に1種ほどが絶滅していたそうです。
ところが――
30年ほど前には――
週に10~30種ほどが絶滅するようになり――
現在では――
週に300~1000種ほどが絶滅するようになっている――
そういう推計があるのだそうです。
これによれば、
――滅は、餓ほどに高頻度――
ということになります。