この1か月ほど――
『道草日記』では、
――恋
から始まって、
――死
へと話が移り――
ついには、
――餓
――滅
へと話は広がりましたが――
結局――
もっともいいたかったことは、
恋 ≒ 生殖欲求
の図式です。
この図式について――
きょうまで、あまり言及してこなかったことがあります。
それは、
――生殖欲求というヒトの心の働きは、実際の生殖行動とは直接的には関係がない。
という前提です。
例えば――
小説や映画やマンガやゲームの登場人物に生殖欲求を覚えることは十分にありうる――
ということです。
あるいは――
同性に生殖欲求を覚えることも――
大いにありうるでしょう。
生殖欲求の対象との間で実際に生殖が可能かどうかは――
少なくとも、
――心
にとっては、二の次であり――
その“心”を生み出していると考えられる、
――脳
にとっても、おそらくは二の次であるに違いない――
という仮定です。
いいかえるなら、
生殖可能性 ⇒ 生殖欲求
ではなく、
生殖の可能性 ≠ 生殖欲求の潜在性
である――
ということです。
生殖機能と生殖欲求(つまり、恋)とは――
おそらく、まったく独立です。
例えば――
生殖機能がなくなると、生殖欲求を抱かなくなる――
というようなことはない――
……
……
なぜ独立か?
……
……
それは――
僕には説明できません。
きょうまでに僕が見聞きしてきた多くの個々の主観的体験から、
(独立に違いない)
と思い込んでいるに過ぎません。
が――
この仮定を前提に据えると――
恋に関わる様々な話題が――
より広く、より深く、より味わいのあるものとなることは――
確かです。