――リベラル
という言葉は――
今日、少なくとも、討論の場では――あるいは、政治を語る文脈の上では――
あまり用いないほうがよいようです。
この言葉――
もちろん、英語で「自由な」などを意味する「liberal」に相当するものですが――
もともとは、国家の権力に制限を加えて個人の自由や多様を尊重していくという考え方で、
――権力からの自由
を意味していたといいます。
それが――
前世紀になって、個人の自由や多様が保証されるには、むしろ国家による支援が必要だという思想が派生してきて、
――権力による自由
も意味するようになったといいます。
よって――
たんに日本語で「リベラル」といっただけでは、何を意味しているのか――少なくとも、「権力からの自由」を意味しているのか「権力による自由」を意味しているのか――が、あいまいなのですね。
さらにいえば――
この国の今日では、しばしば、
保守 対 リベラル
の構図が用いられます。
これが厄介です。
1990年代以降――
なぜか「保守」の対義語が「革新」ではなくなり、「リベラル」と言い習わされるようになったのですね。
もちろん、ここでいう「リベラル」は「liberal」――つまり、「自由」――のことです。
よって――
「リベラル」が「権力からの自由」なのか「権力による自由」なのかを考える前に――
(なんで「保守」の反対が「自由」なんだ?)
と――
ひとしきり考え込む必要が出てきたのですね。
……
……
仕方がないから――
ひとしきり考え込んだ結果――
今の僕は――
次のように理解することにしています。
(「保守」の対義語を「リベラル」と考える人たちは、「保守は不自由だ」と考えているのではないか)
と――
そして、
(「保守は不自由だ」と主張する人たちに違和感をもつ人たちが少なからずいて、その人たちは「自由は不安定だ」と考えているのではないか)
と――
つまり――
いわゆる、
保守 対 リベラル
の構図は――
実は、
保守かつ不自由 対 自由かつ不安定
の構図ではないか――
ということですね。
……
……
こう考えると――
少なくとも僕は――
多少すっきりとします。