マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

小説のウソ

 ――ウソの小説はつまらない。

 という話を――
 よくききますが――

 この、

 ――ウソの小説

 と、

 ――小説のウソ

 とを――
 混同してはいけません。

 「小説のウソ」には――
 注意が必要です。

 ……

 ……

 ――小説の意義は、「虚構」という名のウソを使って何かを伝えることにある。

 というのは――
 その通りと思います。

 が、

 ――小説は「虚構」というウソだけから成るのではない。

 ということも同じくらいに大切なのです。

 ――小説はウソだけから成るのではなく、ウソとホントとの両方から成る。

 ということです。

 もし、

 ――ウソだけから成る小説

 というものがあるとしたら――
 それは、たぶん、よめたものではありませんよ。

 例えば――
 文字化けのしたネットのサイトをプリントアウトして、

 ――これ、小説なんだ。

 といってみせるようなものです。

 ……

 ……

 小説のウソは――
 以下の2つに大別できる、と――
 僕は考えています。

 ――ウソの中のホント

 と、

 ――ホントの中のウソ

 との2つです。

 前者は――
 例えば、

 ――ぶっとんだ設定で始まる物語

 であり――
 後者は――
 例えば、

 ――リアリティに溢れる緻密な物語

 です。

 大切なことは――
 どちらも“小説のウソ”としては有意義である――
 という点です。

 どちらかを切り捨てることはできません。

 危険なのは――
 どちらかを無自覚に切り捨てること――
 つまり、“小説のウソ”に対する見方が一面的になることです。

 例えば、“ホントの中のウソ”こそが“小説のウソ”であるとか、“ウソの中のホント”こそが“小説のウソ”であると決めつけてしまう――
 すると――
 うっかり、

 ――あの小説は、小説としてなっていない。

 などといって――
 非常に浅薄で攻撃的な批評を加えてしまいがちです。

 “ホントの中のウソ”も“ウソの中のホント”も――
 どちらも正当な“小説のウソ”なのです。