マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

猥褻は審美とは無関係か

 ――エロティシズム(eroticism)

 というのは――

 きのうの『道草日記』でも述べたように――
 けっこう、ややこしい概念である、と――
 僕は思っているのですが――

 もし――
 この言葉を、あえてカタカナ語でない形で表すとしたら、

 ――猥褻(わいせつ)

 であろうと思います。

 ――いや、そうではない! 「エロティシズム」とは、性衝動に関連する諸概念のうちで、とくに審美的なものを指すのだ。

 といった趣旨の反論は――
 もちろん、成り立ちえますが――

 少なくとも――
 この「エロティシズム」を縮めて、たんに、

 ――エロ

 というときには――
 その意味は明白です。

 例えば、

 ――この雑誌、いろいろゴタクは並べてるけど、ようはエロ本だよね。

 というときの「エロ」を、

 ――性衝動に関連する審美的概念

 と理解する人は――
 たぶん、いません。

 たしかに、

 ――「エロ」は卑俗な概念であり、「エロティシズム」は高尚な概念であるのだ。

 で論陣を張ることはできるでしょう。

 が――
 そんな論陣を張る人は――
 たぶん、

 ――猥褻は審美とは無関係である。

 と――
 無自覚に信じているのでしょう。

 そういう人は、

 ――そうした信念は、むしろ「猥褻」を不当に貶めている。

 との再反論を――
 覚悟する必要があります。