マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ヒトの闘争欲求がわからない政治家は

 ――政治とは社会の利害調整である。

 ということを――
 この『道草日記』では、たびたび述べていますが――

 たまに――
 政治家でありながら、“社会の利害調整”に全く無頓着な人――あるいは、無頓着であるようにみえる人――をみかけます。

 そういう政治家が外国の政治家であれば、みてみぬふりをするのですが――
 この国の政治家であれば――
 そうもいっていられません。
 
 有権者の一人として、
(困ったものだ)
 と、ため息をつかないわけにはいかないのです。

 そういう政治家は――
 たぶん、

 ――社会の構成員の自己同一性の確立および維持

 に邁進しているのでしょう。

 きのうの『道草日記』で述べたように――
 世の中には、

 ――政治とは、社会の利害調整だけではなく、社会の構成員(例えば、民族)の自己同一性の確立および維持も政治に含まれる。

 との考え方もあるからです。

 ――社会の利害調整は他の政治家に任せて、私は民族の自己同一性の確立や維持をやる!

 と意気込んでいるのでしょう。

 ……

 ……

 ほどほどのところで、やめてくれればよいのですが――

 そうはせずに――
 やれるところまでやってしまって――

 その結果――
 この国が利益を獲得し損ねたり、損害を回避し損ねたりすると――

 目も当てられません。

 そういう政治家は――
 きのうまでの『道草日記』で触れた知見――
 すなわち、

 ――生物種としてのヒトには闘争欲求がある。

 との知見を――
 まったく知らないか、あるいは軽くみているのでしょう。

 この知見を重くみるならば――
 政治家の使命が、

 ――社会の利害調整

 以外にありそうもないことは明らかだ、と――
 僕は思うのです。

 人々が闘争欲求に流され、いつまでも互いに争っていては――
 少なくとも長期的な視点に立てば――
 誰も利益を獲得できないし、損害を回避できないでしょう。

 ヒトの闘争欲求がわからない政治家は――
 政治の本質を見誤るように思います。