マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

本音と建前との乖離が酷くなるのは

 西欧では、“不自然の建前”を“自然の本音”に合わせ――
 日本では、“自然の本音”を“不自然の建前”に合わせる――
 という傾向があるらしい――
 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 が――

 そう述べたあとで、
(ちょっと違うかもしれない)
 と思いました。

 実際には――
 西欧では、“自然の本音”を“不自然の建前”として表し――
 日本では、“不自然の建前”を“自然の本音”として表す――
 ということではないか、と――

 ……

 ……

 どういうことか――

 ……

 ……

 考えたのは、

 ――庭

 のことです。

 西欧の庭園は、幾何学的に整然としていて、いかにも人工的です。

 一方――
 日本の庭園は、一見、原生林的で雑然としていて、非人工的です。

 つまり――
 西欧では、幾何学的な模様が、自然物の意匠で表現されるのに対し――
 日本では、原生林的な自然が、計算された演出で表現される――
 ということです。

 幾何学的な模様も計算された演出も――
 当たり前ですが、恣意の波及の典型です。

 不自然の顕現といってよいでしょう。

 西欧では、見かけ上、明らかな不自然が、自然によって表現され――
 日本では、見かけ上、明らかな自然が、不自然によって表現される――

 あるいは――
 こうもいえます。

 西欧では、自然は表現の手段であり、不自然は表現の対象である――
 日本では、不自然は表現の手段であり、自然は表現の対象である――
 と――

 よって――
 いま、

  自然 = 本音

  不自然 = 建前

 とみなしますと――

 西欧人は、本音で建前をいおうとし――
 日本人は、建前で本音をいおうとする――
 ということになります。

 本音で建前をいっていれば――
 建前の内容は、本音からは、そう遠くなりません。

 つまり――
 本音と建前との乖離は、起きにくくなります。

 一方――
 建前で本音をいっていれば――
 本音の内容は、いつまでも表に出てきません。

 つまり――
 本音と建前との乖離は、酷くなる一方です。