マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“愛世心”で和らぐ懸念

 ――愛世心

 という概念を導入することで――
 例えば、

 ――日本人が、スポーツの国際大会などで、日本人選手や日本代表チームの応援に熱狂する様子は、過度な愛国心が醸成されているようで、非常に気になる。

 といった懸念を――
 和らげることができます。

 おとといの『道草日記』で述べたように――
 日本人が日本人選手や日本代表チームを応援する気持ちは、

 ――愛国心

 ではなく、

 ――愛世心

 です。

 “愛世心”は、愛国心と違い、その対象が現実であることに留意を要します。

 どういうことか――

 ……

 ……

 きのうの『道草日記』で述べたように――

 愛国心の対象は、国家や政府といった約束事である一方――
 “愛世心”の対象は、世間や社会といった自然物です。

 対象が虚構ではなく、現実であるならば――
 その熱狂は、それほど危険でも不健全でもありません。

 そのことは――
 愛郷心が、愛国心よりも一般に穏当で常識的であることと――
 同じです。

 愛郷心の対象も、また――
 郷土や国土といった自然物――つまり、現実――なのです。

 ……

 ……

 愛国心が危険とみなされるのは――
 愛国心の虚構性が、軽視ないし無視されるときです。

 もちろん――
 愛国心の虚構性は――
 その国に住まう人々の生命や財産が守られるためには、大変に有用であり、かつ貴重な仕掛けではあるのです。

 が――
 それでも――

 その虚構性を完全に忘れさってしまうのは――
 危険です。

 現実と遊離し、虚構に依存するという意味で――
 危険です。

 そのような愛国心と――
 日本人が日本人選手や日本代表チームを応援する気持ちとは、
(別物であろう)
 というのが――
 僕の主張です。

 日本人選手や日本代表チームを応援する気持ちは、

 ――愛世心

 であって――
 愛国心ではありません。

 よって――

 ワールドカップやオリンピックなどで、日本人選手や日本代表チームを応援する日本人が、たとえどんなに熱狂的であったとしても――
 とくに心配をする必要はないでしょう。

 日本人選手や日本代表チームを熱狂的に応援している日本人のほとんどは――
 国家や政府のことを思って熱狂しているわけではありません。