マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“愛世心”は愛国心・愛郷心どちらに近いか

 ――愛国心

 ――愛郷心

 と並んで、

 ――愛世心

 という概念が成り立ちうるのではないか――
 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 「愛世心」というのは――
 僕の造語です。

 ……

 ……

 さらにいえば――

 きのうの『道草日記』では――
 愛国心の対象は、国家ないし政府であり――
 愛郷心の対象は、郷土ないし国土である――
 ということにも触れました。

 一方――
 “愛世心”の対象は、世間ないし社会である――
 ということにも触れましたね。

 ……

 ……

 ここで気になるのは、

 ――世間

 や、

 ――社会

 といった概念を――
 どのように理解していくのがよいのか――
 ということです。

 どちらも――
 一筋縄ではいかない複雑な概念ですよね。

 が――

 それでも――
 あえて単純化を試みて――
 僕は、

 ――世間

 は、

 ――社会

 の日本版であると考えています。

 ……

 ……

 「社会」という概念は、西欧が生んだものです。
 西欧が生んだ概念に、新たな日本語をこしらえ、それを当てたものが、

 ――社会

 です。

 それとは別に、日本では「世間」という概念が生まれていて――
 両者は、幸いなことに、
(そんなには違わないのではないか)
 と――
 僕は思っています。

 もちろん――
 「社会」は西欧的であり、「世間」は日本的であるという意味では――
 両者は、かなり違うのですが――

 でも――
 本質的には、あまり変わらない――

 では――
 その「世間」や「社会」の本質とは何か――

 ……

 ……

 ――人と人との関係性の全て

 というのが――
 一般的な見方でしょう。

 対人関係の膨大な集積が世間ないし社会です。

 その際に、

 ――人は生物種としてのヒトである。

 ということを重くみるならば、

 ――「社会」とは、ヒトの生態系である。

 という見方も可能です。

 そうであれば――
 社会は、

 ――自然物

 ということになります――生態系は、紛れもなく自然物ですので――

 ……

 ……

 ということは――

 例えば――
 社会は――
 国家などとは違って、

 ――虚構ではなく、現実である。

 といえます。

 つまり――
 もし、

 ――“愛世心”は、愛国心愛郷心と、どちらに近い概念なのか。

 と問われれば――
 答えは、

 ――愛郷心

 となるです。

 愛国心の対象は、国家ないし政府という虚構であり――
 愛郷心の対象は、郷土ないし国土という現実であるからです。