――愛する
という心の働きは――
明確な意志をもって何かに着目をすることです。
その“明確な意志”の中身によっては、
――真っ直ぐな愛
にもなり、
――歪んだ愛
にもなりえます。
通常――
「愛する」という心の働きの中核を占めるのは――
対象である「何か」を愛でる意志――その良さを感じ、褒め、、大切にしようとする意志――です。
ところが――
その“良さ”の感じ方が奇妙であったり、“良さ”の褒め方が大げさであったり、“良さ”を大切にしようとする仕方が常軌を逸していたりすることが――
決して珍しくありません。
とくに――
その心の働きの対象が虚構であるときには――
その感じ方や褒め方、あるいは大切にしようとする仕方が、しばしば狂いやすくなるように思います。
「狂いやすくなる」というのは――
周囲から、
――ええ? そんなふうに感じてるの?
とか、
――その褒め方は、褒めすぎだろう!
とか、
――大切にしすぎて、むしろ台なしにしてしまった!
とかいった懸念をもたれやすくなる――
ということです。
当然です。
「愛する」の対象が虚構であるときには――
現実ではないものを感じ、褒め、大切にすることになりますから――
どうしても――
地に足が着いていない体となりやすいのですね。
よって――
……
……
何か虚構の事物を愛するときには――
それが虚構であることを十分に意識し――
かつ――
それが虚構であるがゆえの限界に敏感となり――
かつ――
その虚構が必要とされている現実の状況について正確に理解する――
必要があります。
愛国心を例にとれば――
国家が国民によって共有されている約束事の集積であることを十分に意識し――
かつ――
その約束事の集積は、国民によって共有されなくなれば意味を失うことに敏感となり――
かつ――
その約束事の集積は、国民の生命や財産が脅かされるのを防ぐのに有用であることを理解する――
ということです。