――国が滅ぶ。
と、僕がいうときに――
それには、
――「国」という約束事に従って暮らしている人たちの生命や財産の多くが失われる。
という意味を込めている、と――
きのうの『道草日記』で述べました。
よって、僕は、「国が滅ぶ」という表現を、できるだけ使わないようにしている――
ということにも触れました。
……
……
それと同じように、
――愛国
という言葉も――
僕は、できるだけ使わないようにしています。
――憂国
とか、
――救国
とかも同様です。
理由は――
「国が滅ぶ」を使わないのと同じ――
つまり、
――「国」という約束事には多分に虚構性が含まれているから――
です。
虚構を愛するのは、趣味とか嗜好とかとしては、ありですが――
義務とか責任とかとしては、なしです。
愛したい人だけが愛せばよい――
虚構とは――
そうしたものです。
虚構を憂えたり、救ったりするのも――
基本的には同じです。
……
……
以上のことを踏まえずに、
――愛国
――憂国
――救国
を声高に叫ぶのは――
(危うい)
と――
僕は考えます。
――現実から遊離しかねない。
という意味で、
――危うい
のです。