――文武両道
と――
一口にいいますが――
“文”にも“武”にも通じるというのは――
並大抵のことではありませんね。
きのうまでの『道草日記』では――
この、
――文武両道
がキーワードの1つでした。
……
……
現代日本でいうところの「文武両道」は、
――勉強もスポーツも得意――
くらいの意味です。
つまり、
文 = 勉強
武 = スポーツ
です。
が――
僕は、
(その図式は、ちょっとお気楽だろう)
と思っています。
本当の意味での「文」や「武」について――
僕らは――
もう少し深刻に考える必要があるのではないか、と――
……
……
これまでの人類史を振り返ってみたときに――
必ず、
――治世
と、
――乱世
とが交互に訪れています。
「治世」とは、
――戦乱がなく、治安も良い時代
です。
「乱世」とは、
――戦乱があり、治安も悪い時代
です。
治世では“文”が重視され、乱世では“武”が重視されてきました。
このことは何を意味するのか――
……
……
僕は――
“文”や“武”は――
基本的には、以下の図式を満たしていると思っています。
文 = 心を使って暮らしていく能力 = 頭脳を働かせて幸せを掴む能力
武 = 体を使って暮らしていく能力 = 手足を動かして幸せを掴む能力
その上で――
治世では、暮らしていくこと自体は、それほど難しくありません。
よって――
どちらかといえば、
――文武両道
が理想とされる傾向があるとはいえ――
“文”を好むか“武”を好むかは――
最終的には、個人の考えに任されているようなところがあります。
が――
乱世では、暮らしていくこと自体が、難しい――生き残るだけで皆、精一杯になるからです。
よって――
乱世では、
文 = 心を使って生き残る能力 = 知恵を尽して命を守る能力
武 = 体を使って生き残る能力 = 腕力に訴えて命を守る能力
と考えたほうがよいでしょう。
つまり――
乱世では、選択の余地がなくなるのです。
“文”を好むか、“武”を好むか――
……
……
乱世では――
ほぼ異論なく、
――“武”を好め。
とされます。
もちろん、
――文武両道
が理想とされる傾向に変わりはありません。
が――
まずは、体を張って生き残ること――
ときには足を使って逃げてでも、とにかく生き残らなければ、話にならない――
そういう現実が――
乱世にはあるのです。
……
……
――文武両道
が気安く論じられる時代は――
治世でしょう。
現代日本は、何だかんだいって、明らかに治世です。
文 = 勉強
武 = スポーツ
などといっていられるのは――
治世であればこそ、です。