マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

後鳥羽上皇のこと(20)

 後鳥羽上皇のことについて――
 きょうまでの20日間にわたって『道草日記』で語ってきました。

 20回分です。

 さすがに、
(長すぎた)
 と思っております(笑

 なぜ――
 こんなに長くなったのか――

 ……

 ……

 当初は、
(7~8回分かな)
 と思っていました。

 が――
 いったん書き始めてみると、
(僕は、後鳥羽上皇について、けっこう多く語りたがっているらしい)
 ということに気づきました。

 ……

 ……

 後鳥羽上皇について――
 それほど深い関心があったわけではありません。

 好きか嫌いかでいえば――
 あきらかに、

 ――嫌い

 のほうでした。

 が――
 ひとたび、その生き様を追ってみると――

(なぜ?)
 と――
 疑問ばかりが思い浮かぶのです。

 なぜ、承久の乱を起こしたのか――
 なぜ、文武両道といわれるのか――
 なぜ、配下の武将たちをあっさり見捨てることができたのか――
 なぜ、稀代の歌人と評されながら暗愚の君主と評されるのか――

 一つひとつ挙げていったら、きりがないのですが――
 そうした疑問に答えようと思って毎日、少しずつ書いていったら――
 いつの間にか、20日間がすぎていました。

 ……

 ……

 上に挙げた疑問のうち――
 2つめ以外――つまり、「なぜ、文武両道といわれるのか」以外――については答えは出せたと思っています。

 少なくとも僕自身は納得しました。

(たぶん、そういうことだったんだよね)
 と――

 ……

 ……

 その「答え」とは、

 ――後鳥羽上皇は、とにかく人の気持ちがわからなかった。

 です。

 後鳥羽上皇は――
 もう少し人の気持ちがわかっていれば――

 承久の乱を起こすことも、配下の武将たちをあっさり見捨てることも、稀代な歌人と評されながら暗愚の君主と評されることもなかったでしょう。

 もう少し人の気持ちがわかっていれば――

 鎌倉幕府の首脳らの気持ちや、その首脳らを支える人々の気持ちがわかり――
 後鳥羽上皇を信じて命がけで戦った武将たちの気持ちがわかり――
 朝廷の最高権力者の和歌に付き合わされる廷臣たちの気持ちがわかり、ひいては英邁な君主に期待を寄せる廷臣たちの気持ちがわかっていたでしょう。

 けれども――
 それが、わからなかった――

 ……

 ……

 残された最後の疑問にも答えましょう。

 ――なぜ、後鳥羽上皇は文武両道といわれるのか。

 です。

 これは、

 ――文

 の定義によります。

 「文」を、単に「読み書きに関する能力」と定義するならば――
 たしかに、

 ――文武両道

 であったのです。

 が――
 「文」を、「人世の機微に通じる能力」と定義するならば――
 おそらく、

 ――武に通じれども、文に疎し

 であったのです。

 今回――
 僕は、まったくといってよいほどに、史料文献には触れませんでした。

 が――
 最後に少しだけ触れます。

 ……

 ……

 『六代勝事記』という歴史物語があります。
 成立は承久の乱の直後と考えられています。

 この歴史物語における後鳥羽上皇・評が――
 けっこう辛辣だといいます。

 曰く、

 ――文章に疎にして弓馬に長じ給へり

 です。

 ここでいう「文章」とは――
 現代語の「文章」ではなくて、

 ――内面にある人徳が、容貌や言語となって外面に表れること

 です。

 一方、「弓馬」とは――
 文字通り、

 ――馬に乗って弓を引く技量

 であり――
 そこから転じて、

 ――武芸全般

 を指しています。

 よって――
 「文章に疎にして弓馬に長じ給へり」とは、

 ――人徳に乏しくて、武芸に秀でていらした。

 です。

 たしかに、辛辣な評です。

 ……

 ……

 この『六代勝事記』の評に――
 僕は完全には同意しません。

 それは、

 ――後鳥羽上皇は、とにかく人の気持ちがわからなかった。

 と思っているからです。

 そして――
 そのわからなかった理由は――
 決して、わかろうとしなかったからではなく――
 本当にわからなかったからです。

 おとといの『道草日記』で述べた通り――
 僕は、後鳥羽上皇には、

 ――気分の異常を伴う自閉症があった。

 と考えています。

 これは明確なハンディキャップです。

 そのことが――
 あの時代においても――
 正しく認識されていたならば――

 少なくとも、『六代勝事記』の後鳥羽上皇・評は、なかったでしょう。

 ひょっとすると――
 承久の乱も、起きなかったかもしれません。

 今日でいうところの「カウンセリング」を適切に受け――
 後鳥羽上皇は、もっと違った形で、歴史に名を残していたかもしれません。

 ……

 ……

 もちろん――
 歴史に「ひょっとすると――」はないのですが――

 後鳥羽上皇の生き様を追っていったら――

(ひょっとすると――)
 と思わずには、いられないのです。