承久の乱を起こすと決めたときに――
後鳥羽上皇は、
――異常な心理に陥っていたのではないか。
との見方を――
きのう・おとといの『道草日記』で述べました。
……
……
ここで――
断っておきますと――
ことの真偽は――
もちろん、永遠にわかりません。
その真偽を明らかにするには――
後鳥羽上皇から直に話をきき――
かつ、後鳥羽上皇の周囲の人たちからも話をきかなければなりません。
そんなことは――
たとえタイムマシンがあったとしても――
とうてい不可能でしょうから、
――ことの真偽は、永遠にわからない。
といわざるをえません。
が――
そういう限界は承知の上で――
あえて――
と、みなしてみましょう。
そして――
その“異常な心理”が、具体的には、どんな異常であったかを――
少し踏み込んで述べようと思います。
……
……
結論をからいうと――
僕は――
その異常は、
――躁(そう)
ないし、
――軽躁(けいそう)
ではなかったか、と――
感じています。
――躁
とは――
わけもなく気分が高揚し――
さまざまな発想が次から次へと浮かんできて――
どんなことでも自分一人でやってのけてしまえるような気になる――
そんな気分のことをいいます。
その程度が軽いときは、
――軽躁
といいます。
おそらくは、軽躁でした。
ひょっとすると――
躁であったかもしれませんが――
もし――
軽躁でなかったとすると――
(実際に、軍隊が動くところまでは、いかなかったろう)
と思います。
軽躁でない躁は――
異様な印象を放ちます。
異様な口調、異様な表情、異様な仕草です。
その異様さは――
比較的わかりやすいので――
それを直に感じた人たちは、
――この人のいうことを聞いていて、大丈夫か。
と不安になります。
よって――
躁を呈している人が1000~3000人の兵を動かすことは――
おそらく無理です。
ところで――
この、
――躁
ないし、
――軽躁
には――
たいていの場合――
予兆があります。
――鬱(うつ)
です。
わけもなく気分が沈降し――
さまざまな懸案を考えるものの、考えがまとまらず――
そのうちに考えること自体が億劫になって――
やがて何もしたくなくなり、ずっと横になって休んでいたくなる――
そんな気分のことです。
後鳥羽上皇には――
この予兆としての鬱が――
承久の乱の起こる2年ほど前に、みられていた可能性があります。
僕は――
2月19日の『道草日記』で、
といったことを述べましたが――
このときの後鳥羽上皇の様子は――
いかにも、
――鬱
を思わせるものです。
もちろん――
ふつうの病気――今日でいう感染症などの体の病気――であった可能性も十分にあるのですが――
仮に、
――鬱
であったとみなすならば――
その後の後鳥羽上皇の決断や挫折――さらには、その挫折の後の変節など――が、きわめて自然に了解できるのですね。
つまり――
後鳥羽上皇は、鬱のあとに軽躁をきたした結果――
承久の乱を半ば衝動的に起こすと決めてしまった――
と解釈できる――
そう解釈することによって――
少なくとも――
違和感なく、つながります。
……
……
やや厳密にいいかえるなら――
もし、
――後鳥羽上皇が文武両道を地で行く人物であった。
と本気でみなすのであれば、
ということです。