マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

後鳥羽上皇のこと(15)

 承久の乱を起こすと決めたときに――

 ――異常な心理に陥っていたのではないか。

 との見方を――

 きのう・おとといの『道草日記』で述べました。

 ……

 ……

 ここで――
 断っておきますと――

 ことの真偽は――
 もちろん、永遠にわかりません。

 その真偽を明らかにするには――
 後鳥羽上皇から直に話をきき――
 かつ、後鳥羽上皇の周囲の人たちからも話をきかなければなりません。

 そんなことは――
 たとえタイムマシンがあったとしても――
 とうてい不可能でしょうから、

 ――ことの真偽は、永遠にわからない。

 といわざるをえません。

 が――

 そういう限界は承知の上で――

 あえて――
 後鳥羽上皇が、承久の乱を起こすと決めたときに“異常な心理”に陥っていた――
 と、みなしてみましょう。

 そして――
 その“異常な心理”が、具体的には、どんな異常であったかを――
 少し踏み込んで述べようと思います。

 ……

 ……

 結論をからいうと――

 僕は――
 その異常は、

 ――躁(そう)

 ないし、

 ――軽躁(けいそう)

 ではなかったか、と――
 感じています。

 ――躁

 とは――
 わけもなく気分が高揚し――
 さまざまな発想が次から次へと浮かんできて――
 どんなことでも自分一人でやってのけてしまえるような気になる――

 そんな気分のことをいいます。

 その程度が軽いときは、

 ――軽躁

 といいます。

 承久の乱を起こすと決めたときの後鳥羽上皇は――
 おそらくは、軽躁でした。

 ひょっとすると――
 躁であったかもしれませんが――

 もし――
 軽躁でなかったとすると――

(実際に、軍隊が動くところまでは、いかなかったろう)
 と思います。
 
 軽躁でない躁は――
 異様な印象を放ちます。

 異様な口調、異様な表情、異様な仕草です。

 その異様さは――
 比較的わかりやすいので――

 それを直に感じた人たちは、

 ――この人のいうことを聞いていて、大丈夫か。

 と不安になります。

 よって――
 躁を呈している人が1000~3000人の兵を動かすことは――
 おそらく無理です。

 ところで――
 この、

 ――躁

 ないし、

 ――軽躁

 には――
 たいていの場合――
 予兆があります。

 ――鬱(うつ)

 です。

 わけもなく気分が沈降し――
 さまざまな懸案を考えるものの、考えがまとまらず――
 そのうちに考えること自体が億劫になって――
 やがて何もしたくなくなり、ずっと横になって休んでいたくなる――
 そんな気分のことです。

 後鳥羽上皇には――
 この予兆としての鬱が――
 承久の乱の起こる2年ほど前に、みられていた可能性があります。

 僕は――
 2月19日の『道草日記』で、

 ――後鳥羽上皇は、思いがけず大内裏が焼失したことに衝撃を受け、ひと月ほど病床に伏せった。

 といったことを述べましたが――
 このときの後鳥羽上皇の様子は――
 いかにも、

 ――鬱

 を思わせるものです。

 もちろん――
 ふつうの病気――今日でいう感染症などの体の病気――であった可能性も十分にあるのですが――

 仮に、

 ――鬱

 であったとみなすならば――
 その後の後鳥羽上皇の決断や挫折――さらには、その挫折の後の変節など――が、きわめて自然に了解できるのですね。

 つまり――
 後鳥羽上皇は、鬱のあとに軽躁をきたした結果――
 承久の乱を半ば衝動的に起こすと決めてしまった――
 と解釈できる――
 
 そう解釈することによって――
 少なくとも――
 後鳥羽上皇の高い知的能力と承久の乱の後の無節操な言動とは――
 違和感なく、つながります。

 ……

 ……

 やや厳密にいいかえるなら――

 もし、

 ――後鳥羽上皇が文武両道を地で行く人物であった。

 と本気でみなすのであれば、

 ――承久の乱を起こすと決めた後鳥羽上皇の思考には、軽躁の“異常な心理”が影響を強く及ぼした可能性が、無視できない。

 ということです。