マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

後鳥羽上皇のこと(14)

 後鳥羽上皇のことでは――
 どうしても無視をするわけにはいかない醜聞があります。

 それは――
 承久の乱に敗れた際の、

 ――往生際の悪さ

 あるいは、

 ――聞き苦しい言い訳

 です。

 後鳥羽上皇に味方をして戦いに敗れた武将たちが――
 後鳥羽上皇の御所に逃れ来て、

 ――ともに戦って下され。

 と嘆願をしたところ、

 ――知らぬ。どこへなりと勝手に逃げよ。

 と門前払いにしたとか――

 京の都へ攻め入ろうとする鎌倉幕府側の軍に対し、

 ――戦いは近臣どもが勝手に起こしたことで、余は与(あずか)り知らぬ。

 と回答をしたとか――

 現代の俗語でいえば――
 凄まじいばかりの、

 ――ヘタレっぷり

 なのです。

 ……

 ……

 このことをもって、

 ――しょせん当時の皇族たちは、どうしようもなく身勝手であったのだ。

 と切って捨てることは容易です。

 実際に――
 そのように切って捨てている歴史家が少なくありません。

 が――

(それにしても……)
 と――
 僕は思うのです。

 いくらなんでも、

 ――余は与り知らぬ。

 というのは――
 文武両道を称賛されていた“治天の君”としては――
 誇りのかけらもない物言いです。

 もちろん――
 この国の因習として――
 さすがに後鳥羽上皇自身が武将たちと一緒に戦って斬り死にをしたり、あるいは、自殺をしたりすることは――
 ありえなかったでしょう。

 そんなことをすれば――
 天皇家の血筋が、途絶えてしまいかねない――

 天皇家が1000年くらいにわたって脈々と受け継がれてきたらしいことを重くみる人々は――
 今も昔も決して少なくはなかったのです。

 後鳥羽上皇や、その周辺の人たちが――
 天皇家の血筋を守ろうとしたことは、想像に難くありません。

 とはいえ――

 そうであるならば――
 後鳥羽上皇ほどに知的能力の高い人物が――
 なぜ、

 ――この度の乱は余が一人で企てたことである。他の皇族たちは与り知らぬ。

 くらいのことが、いえなかったのか――

 ……

 ……

 きのうまでの『道草日記』で――
 僕が、

 ――後鳥羽上皇は、承久の乱を半ば衝動的に起こしたと考えられる。

 とか、

 ――その際に、異常な心理に陥っていたと考えられる。

 とかと述べたのは――
 すべて――
 この後鳥羽上皇の“往生際の悪さ”ないし“聞き苦しい言い訳”を説明するためです。

 これは――
 はっきりいえば、

 ――言動の異常

 です。

 そのような異常を説明するには――
 後鳥羽上皇の胸中で――
 承久の乱を起こすと決めたときの心理と乱後の処理に当たっていたときの心理とに、

 ――明らかな断絶があった。

 と考えることが有効です。

 そのような心理的断絶がなければ――
 後世、

 ――呆れるばかりのヘタレっぷり――

 と評される変わり身は――
 なかなか、できることではありません。

 人は――
 何か“異常な心理”に陥っていない限り――
 自分自身の整合性が損なわれるような言動を嫌がるものです。

 とりわけ――
 後鳥羽上皇のように――
 確かな社会的地位があって、知的能力に全く問題のない人は――
 頑固に嫌がるものです。

 本音では、

 ――したい!

 と思っていても――
 実際には、なかなか、できない――

 が――
 もし、承久の乱を起こすと決めたときに――
 後鳥羽上皇が何らかの“異常な心理”に陥っていて――

 かつ、そのことを後鳥羽上皇自身が乱後に振り返ったときに、

 ――あのとき、なぜ私は、あのような決断を下したのか。

 と首を傾げていたのだとしたら――

 あの変わり身も――
 説明はつきます。

 当人は――
 いたって大真面目であったでしょう。

 少なくとも――
 自分の変わり身を、

 ――正当な豹変である。

 と思っていて、

 ――不当な変節である。

 とは、つゆも思っていなかった可能性があります。

 案外、

 ――余は与り知らぬ。

 というのが――
 純粋な本心であったかもしれないのです。