マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

後鳥羽上皇のこと(9)

 後鳥羽上皇承久の乱を起こすと決めた時期については、

 ――乱を起こす1~2年前である。

 という考え方と、

 ――物心がついたときである。

 という考え方との2つがある――
 ということを――

 きのう『道草日記』で述べました。

 その上で――
 「乱を起こす1~2年前である」との考え方について――
 その概要を、やや詳しく示しました。

 きょうは――
 「物心がついたときである」との考え方について――

 ……

 ……

 まず――
 後鳥羽上皇に物心がついたのは、いつか――

 そこがポイントです。

 ……

 ……

 おそらくは――
 天皇になった後に――
 物心がついているのですね。

 後鳥羽上皇は――
 満年齢にして僅か3歳1か月で即位をしています。

 しかも――
 ただの即位ではありませんでした。

 後鳥羽上皇が即位をしたのは――
 1183年(寿永2年)――

 このとき――
 実は、もう一人、別に天皇がいました。

 安徳天皇です。

 有名な壇ノ浦の戦いで平家一門と一緒に入水をした幼帝です。
 満6歳4か月でした。

 都落ちをした平家一門が安徳天皇を連れて行ってしまったので――
 その代りとして即位をすることになったのが――
 当時3歳の後鳥羽上皇でした。

 安徳天皇は平家一門の女性が生んだ子であったので――
 連れて行かれるのは自然な流れでした。

 連れて行かれたのは安徳天皇だけで――
 他の皇族たちは京に残ります。

 京に残った皇族たちによって――
 後鳥羽上皇は即位を強いられます。

 が――
 その即位は完全な様式での即位ではありませんでした。

 三種の神器を欠いていたのです。

 「三種の神器」とは、天皇家が代々受け継いできた宝物です。
 これらを所持する者だけが正当な天皇と目されました。

 つまり――
 後鳥羽上皇は――
 自分の物心がつく前に――
 いわば正当でない天皇として即位をしたのです。

 その後――
 天皇家三種の神器を奪い返すことはありませんでした。

 3つの宝物のうち2つは奪い返せたようですが――
 残る1つ――宝剣――だけが奪い返せなかったのです。

 このことに――
 後鳥羽上皇は――
 終生、劣等感を抱いていたといわれます。

 後鳥羽上皇は――
 良くいえば誇り高い――悪くいえば傲慢な――性格であったようですから――

 もし――
 後鳥羽上皇三種の神器を欠いたままで即位をしなければならなくなったときに――
 すでに物心がついていたとしたら――

 そのような即位は――
 断固、拒んだことでしょう。

 が――
 3歳1か月では、いくらなんでも無理であった――

 ……

 ……

 ――余は、なぜ、あのような無様な形での即位を強いられたのか。

 その悔しさは――
 容易に想像できるような気がします。

 こうした劣等感や悔しさの迸(ほとばし)りが――
 後年の後鳥羽上皇承久の乱へと駆り立てた遠因になった可能性は――
 十分にありえます。

 自分の欠陥的即位をなかったことにするには、どうすればよいのか――

 自分自身の実力で――
 名実ともに完全なる政権を手に入れる――

 それしかありません。

 その企図の発露こそが――
 承久の乱であった――

 ……

 ……

 ――後鳥羽上皇承久の乱を起こすと決めたのは、物心がついたときである。

 と述べたのは――
 そうした意味です。