――乱を起こす1~2年前である。
という考え方と、
――物心がついたときである。
という考え方との2つがある――
ということを――
きのう『道草日記』で述べました。
その上で――
「乱を起こす1~2年前である」との考え方について――
その概要を、やや詳しく示しました。
きょうは――
「物心がついたときである」との考え方について――
……
……
まず――
後鳥羽上皇に物心がついたのは、いつか――
そこがポイントです。
……
……
おそらくは――
天皇になった後に――
物心がついているのですね。
後鳥羽上皇は――
満年齢にして僅か3歳1か月で即位をしています。
しかも――
ただの即位ではありませんでした。
後鳥羽上皇が即位をしたのは――
1183年(寿永2年)――
このとき――
実は、もう一人、別に天皇がいました。
安徳天皇です。
有名な壇ノ浦の戦いで平家一門と一緒に入水をした幼帝です。
満6歳4か月でした。
その代りとして即位をすることになったのが――
当時3歳の後鳥羽上皇でした。
安徳天皇は平家一門の女性が生んだ子であったので――
連れて行かれるのは自然な流れでした。
連れて行かれたのは安徳天皇だけで――
他の皇族たちは京に残ります。
京に残った皇族たちによって――
後鳥羽上皇は即位を強いられます。
が――
その即位は完全な様式での即位ではありませんでした。
三種の神器を欠いていたのです。
これらを所持する者だけが正当な天皇と目されました。
つまり――
後鳥羽上皇は――
自分の物心がつく前に――
いわば正当でない天皇として即位をしたのです。
その後――
3つの宝物のうち2つは奪い返せたようですが――
残る1つ――宝剣――だけが奪い返せなかったのです。
このことに――
後鳥羽上皇は――
終生、劣等感を抱いていたといわれます。
後鳥羽上皇は――
良くいえば誇り高い――悪くいえば傲慢な――性格であったようですから――
もし――
すでに物心がついていたとしたら――
そのような即位は――
断固、拒んだことでしょう。
が――
3歳1か月では、いくらなんでも無理であった――
……
……
――余は、なぜ、あのような無様な形での即位を強いられたのか。
その悔しさは――
容易に想像できるような気がします。
こうした劣等感や悔しさの迸(ほとばし)りが――
十分にありえます。
自分の欠陥的即位をなかったことにするには、どうすればよいのか――
自分自身の実力で――
名実ともに完全なる政権を手に入れる――
それしかありません。
その企図の発露こそが――
承久の乱であった――
……
……
と述べたのは――
そうした意味です。