マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「知る」の対極は「制す」か

 ――「人間」の対極は、本当に「自然」なのか。

 と、

 ――「知る」の対極は、本当に「制す」なのか。

 との2つの問題意識を――
 きのうの『道草日記』で示しました。

 それぞれ、「文武理工」の4分割表、

        知  制
   人間  文  武
   自然  理  工

 の縦軸および横軸の意味と密接に関連しています。

 これら2つの問題意識のうち――
 1つめについては――
 今年1月3日の『道草日記』で述べた、

  恣意 ↔ 自然

 の図式を導入するのがよい――
 と思っています。

 つまり――
 冒頭の4分割表は、

        知  制
   自我  文  武
   自然  理  工

 と書き換え、

  文 = 自我を知ること
  武 = 自我を制すこと
  理 = 自然を知ること
  工 = 自然を制すこと

 と考えるのがよい――
 ということです。

 では――
 2つめの問題意識、

 ――「知る」の対極は、本当に「制す」なのか。

 については――
 どうでしょうか。

 ……

 ……

 ――知行

 という言葉があります。

 ――ちぎょう

 と読めば、

 ――領主が領地などを治めること

 の意味になりますが――

 ――ちこう

 と読めば、

 ――知ること、行うこと

 の意味になります。

 この「知行(ちこう)」が、

 ――知る

 の対極を、

 ――行う

 とみなしているらしいことに――
 異論は少ないでしょう。

 つまり、

 ――「知る」の対極は、本来は「行う」である。

 ということです。

 つまり、

  知る ↔ 行う

 ですね。

 この図式を導入すると――
 先ほどの4分割表は、

        知  行
   自我  文  武
   自然  理  工
 
 となります。

 つまり、

  文 = 自我を知ること
  武 = 自我を行うこと
  理 = 自然を知ること
  工 = 自然を行うこと

 です。

 が――
 当然ながら、

 ――「自我を行うこと」って何?

 ――「自然を行うこと」って何?

 との疑問がわきます。

 つまり、

 ――自我を対象に行うこととは何か。

 ――自然を対象に行うこととは何か。

 との疑問です。

 最も典型的なのは、

 ――制御すること

 と考えられます。

 が――
 おそらく、それだけではない――

 例えば、

 ――活用すること

 が含まれるでしょう。

 ――修飾すること

 や、

 ――改良すること

 などもありえます。

 そうしたことを全てひっくるめて、

 ――制す

 で、よいのではないか――

 そう考えるならば、

 ――「知る」の対極は「制す」とみなせる。

 となります。

 あるいは――

 ……

 ……

 もう少し常識的に、

 ――自我や自然に対し、最も受動的に関わるのが「知る」であり、最も能動的に関わるのが「制す」である。

 といっても――
 よいかもしれません。