マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

知行(ちこう)は一対一の対応関係ではない

 「文武理工」の4分割表、

        知  制
   人間  文  武
   自然  理  工

 について――
 連日、『道草日記』で思うところを述べています。

 この4分割表をみていると――
 気づくことがあります。

 それは――

 ――文武

 といい、

 ――文理

 といい、

 ――理工

 とはいうけれども――
 なぜか、

 ――武工

 とはいわない――
 ということです。

 これら4つの言葉のうち――
 「文武」「文理」「理工」の3つについては――

 冒頭の4分割表の縦軸や横軸の意味に着目をすることで――
 何となく、わかってきます。

 すなわち、

 ――文武

 は、

 ――対象が人間である点

 で共通していて、

 ――文理

 は、

 ――手法が“知ること”である点

 で共通していて、

 ――理工

 は、

 ――対象が自然である点

 で共通しています。

 では、

   “武工”

 は、どうか――

 ……

 ……

 当然ながら、

 ――手法が“制すこと”である点

 で共通しているはずです。

 が――
 この「制す」は――
 きのうの『道草日記』で述べたように――
 厳密には、

 ――知行(ちこう)

 の「行」――
 すなわち、

 ――行う

 のことです。

 その中身は――
 ときには、

 ――制御する

 であったり、

 ――活用する

 であったり、

 ――修飾する

 であったり、

 ――改良する

 であったりします。

 よって――
 なかなか焦点の定まらない概念といえます。

 つまり――
 「武工」は、「文武」や「文理」や「理工」ほどには焦点の定まらない――
 曖昧な概念なのです。

 このことは何を示唆しているか――

 ……

 ……

 ――知行(ちこう)

 の言葉がもつ意味のイメージです。

 「知行」とは――
 きのうの『道草日記』で述べたように、

 ――知ること、行うこと

 です。

 よって――
 常識的には、

      知
      行

 のような一対一の対応関係を連想してしまいます。

 が――
 厳密には――
 一体多の対応関係――
 つまり、

       知
      行 行
     行 行 行
    行 行 行 行
   行 行 行 行 行

 のようなピラミッド型の対応関係を連想するほうが――
 実相をより正しくとらえている――

 いいかえるなら、

 ――知

 は、

 ――文理

 をひと括(くく)りにできるほどに一意性の高い概念ですが――

 ――行

 は、

    “武工”

 をひと括(くく)りにできるほどに一意性の高い概念ではない――
 ということです。

 ちなみに――

 ……

 ……

 先ほどインターネットで検索をしたところ――
 中国語には、

 ――武工

 に相当する言葉があるようです。

 意味は、

 ――演劇や芝居などでの武術の立ち回り

 あるいは、

 ――武装集団が宣伝工作などをすること

 だそうです。

(なるほどね)
 と思いました。