――知行合一(ちこうごういつ)
という言葉があります。
――知ることと行うこととは原理的に分離不可能であり、知っていても行わないのであれば、知らないのと同じである。
との思想を端的に表す言葉です。
中国・明代の思想家・王陽明が唱えました。
王陽明は、本名を「王守仁」といい――
いわゆる科挙――近世以前の中国で行われていた高級官僚採用試験――に合格をした秀才でした。
日本でも江戸期の頃から広く知られています。
この「陽明」は、号であって、名ではありません。
王陽明が家を建てた場所の地名にちなんでいるそうです。
この王陽明については――
どうしても看過できない点があります。
それは――
王陽明は、たんに官僚や学者として優れていただけでなく――
武将としても優れていた――
という点です。
王陽明は――
軍司令官として――
後世、
――三征
と呼ばれる3つの武功をあげています。
それら3つの武功のうちの2つめについては――
皇帝一族による大規模な反乱――寧王の乱――を速やかに鎮めたことでした。
大勢の将兵を率いて皇族の反乱軍を鎮圧するなどということは――
並の武将では務まりません。
この点において――
王陽明は、まさに正真正銘、
――文武両道の人
であったといえます。
そんな王陽明が、
――知行同一
を唱えていたことは――
まことに興味深いのですね。
きのうまでの『道草日記』で述べているように、
――文
とは、
――人間を知ること
です。
また、
――武
とは、
――人間を制すこと
です。
「制す」とは、とりもなおさず「行う」の一環ですから――
文武両道の王陽明にとって、
――知行合一
は当たり前の思想であったのでしょう。
この思想は――
きのうまでの『道草日記』で触れている「文武理工」の4分割表、
知 制
人間 文 武
自然 理 工
の横軸を強く意識したものと解釈できます。
一方――
その縦軸を強く意識することは――
自然科学や科学技術の発達に注意が向けられやすい現代社会に生まれた者には――
わりと容易です。
よって――
きっと、
――文武両道の人
ならぬ、
――文武理工四道の人
になっていたでしょう。
それくらいの迫力が――
王陽明の、
――知行同一
には感じられます。