マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

多肢選択式の問題を扱う資格

 ――多肢選択式の問題が入学試験や資格試験で好まれるのは、ごく自然なことである。

 ということを――
 きのうの『道草日記』で述べました。

 その真意は、

 ――いわゆる試験で“行”を伴う“知”を問うのは極めて困難であるため、「どうせなら、多肢選択式の問題で“知”だけを効率よく問うてしまおう!」と考えたくなるものである。

 ということです。

 多肢選択式の問題は――
 とにかく“知”だけを効率よく問うには、

 ――もってこい

 なのです。

 こうした観点から――
 多肢選択式の問題に一定の社会的意義があることは――
 容易には否定できません。

 が――
 多肢選択式の問題が――
 いわゆる知行合一の思想の対極にあることもまた、否みがたい事実です。

 つまり――
 入学試験や資格試験で多肢選択式の問題が好まれる傾向は――
 そのまま、

 ――知行合一の思想が廃れる傾向

 といえます。

 ……

 ……

 ふた昔ほど前に――
 さる国家資格試験の出題形式について、

 ――私は、多肢選択式の問題が好きではない。

 と――
 公の場でコメントをした人がいます。

 一瞬の間をとったあと、ややためらいがちに「好きではない」という表現をとっていました。

 あえて「好きではない」という主観的な言葉を用いたのは――
 その人なりの謙虚さによるところで大きかったと思います。

 が――
 実際には、

 ――このまま知行合一の思想が廃れていくのは忍び難い。

 という悲痛な叫びが――
 本音としては、あったでしょう。

 そのような批判の言葉を明確にいってしまうと――
 カドが立ってしまうので――

 あえて、

 ――好きではない。

 と――
 好みの問題にすりかえたのだと思います。

 ……

 ……

 多肢選択式の問題は――
 “知”から“行”を剥ぎとるのに、強い威力を発揮します。

 その威力が秘めている危険性には、十分に注意を払う必要があります。

 その危険性をわかった上で――
 僕らは、多肢選択式の問題と向き合う必要があるのです。

 それら必要性がわからない人に――
 多肢選択式の問題を扱う資格はありません。