マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「○○の本質は何か」の「○○」に入る言葉

 ――元号は現象か。

 という問いについて――
 きのうの『道草日記』で述べました。

 この問いは、

 ――元号の本質は何か。

 を問うならば――
 避けられない問いであることも述べました。

 このように、

 ――○○の本質は何か。

 を有意義に問うには――
 その「○○」が、

 ――現象

 でなければなりません。

 少なくとも――
 “現象”であることが疑いようのない状況が必要です。

 例えば、

 ――元号の本質は何か。

 の問いが有意義であるためには、

 ――元号は現象である。

 との直観が――
 多くの人々によって共有されいる状況が必要なのです。

 残念ながら――
 「元号は現象である」と多くの人々が考えているような事実は、たぶんありませんので、

 ――元号の本質は何か。

 との問いは――
 それほど有意義とはいえません。

 が――

 ……

 ……

 ――○○の本質は何か。

 の「○○」に入る言葉としてピッタリの言葉が――
 少なくとも1つあります。

 それは何か――

 ……

 ……

 ――生命

 です。

 ……

 ……

 生命は現象です。

 生物は現象ではありませんが――
 生命は現象です。

 こう述べると、

 ――「生命現象」という言葉がある。

 との指摘を受けます。

 たしかに、

 ――生命現象

 という言葉はありますね。

 「生命現象」は、本来、冗長な言葉です。

 生命は現象なのですから――
 その「生命」の末尾に「現象」をつけるのは、不要な繰り返しです。

 「日本人」の末尾に「人間」をつけて、

 ――日本人人間

 としたり――
 「日本語」の末尾に「言語」をつけて、

 ――日本語言語

 としたりするのと同じです。

 ……

 ……

 「生命現象」という冗長な言葉の存在は、

 ――生命は現象である。

 という事実を――
 僕らが頻繁に忘れてしまうことを示唆しています。

 人は、

 ――生命現象の本質となりうる何か

 が自明であると錯覚をする場合に限り――
 「生命現象」という言葉に違和感を覚えません。

 ……

 ……

 実際のところ――

 生命現象の本質は――
 よくわかっていません。

 ただ――
 その本質らしき何かを、

 ――生命

 と呼んでいるだけです――生命が現象であることを忘れてしまった上で――