在韓アメリカ軍が撤退をすれば、それなりの外交的な圧力と、それに伴う内政的な応力(ストレス)とを、覚悟する必要がありそうだ――ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
それら“圧力”や“応力”の具体的な性状については、そう簡単には記せません。
が――少なくとも、今の僕らの想像を越えるか越えないかくらいの突拍子もない事態が起こる、とはいえそうです。
白村江の戦いの際に、天皇を中心とする中央集権体制を思い描いていた人は少なかったでしょう。
元寇の際に、武家が京の都で公家風の政権を作ることを思い描いていた人は少なかったでしょう。
朝鮮出兵の際に、鎖国政策を基調とした地方分権体制を思い描いていた人は少なかったでしょう。
太平洋戦争の際に、象徴天皇を戴く民主主義国家を思い描いていた人は少なかったでしょう。
――少なかった。
というよりも、
――ほとんど、いなかった。
というのが正確ではないでしょうか。
よって――
21世紀初頭の現在、在韓アメリカ軍が撤退することに伴い、日本国に起こるであろう事態をつぶさに見通せる人も、ほとんど存在しないに違いありません。
ただし、漠然とであれば、見通せないこともない――
――在日アメリカ軍が撤退し、その後釜として、在日ロシア軍や在日中国軍が駐留している。
とか、
――太平洋戦争後まがりになりにも定着した民主主義の仕組みの一部ないしは全部が失われている。
とか――
――想像を越えるか越えないかくらいの――
というよりは、
――あまり想像をしたくないくらいの――
という感じでしょうか。
ネガティブなことは述べたくないし、考えたくもありません。
が、後世からみて、日本史上の転換点となるような事態に至ることは、間違いないように思えます。
(それがポジティブなことであればいいな)
と、心の底から願っています。