マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

厳密には「無意識の発見」とは記せない

 ――無意識の発見は僥倖であった。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ――無意識の発見

 というのは、わかりやすさを重視した表現です。

 厳密には、

 ――“意識と無意識との違い”の発見

 と記すのがよいと思っています。

 

 理由は簡単で、

 ――意識が十分には定義されていないから――

 です。

 

 わかっているのは――

 多くの人たちが、何となく、

 ――意識

 と呼んでいるもの――おそらくは、心の性質ないしは状態――が存在していて――

 それとは明らかに異質なもの――「意識」とは明らかに異なる性質ないしは状態――が存在しているようである――

 ということです。

 

 重要なのは、

 ――意識

 や、

 ――無意識

 ではなくて、

 ――意識と無意識との違い

 なのです。

 

 厳密にいえば――

 19~20世紀オーストリア精神科医ジークムント・フロイトが発見をしたとされるのは、

 ――無意識

 ではなく、

 ――意識と無意識との違い

 です。

 

 この“違い”を基にして――

 21世紀の僕らは、

 ――意識

 を定義していくことになるでしょう――「意識」が定義できれば、自ずと、

 ――無意識

 が定義できることは、いうまでもありません。