――神経生理学は産声をあげられたが、大脳生理学は産声をあげられずにいる。
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
その理由は、おそらく――
“神経の生理”に比べたら、僕らは、“大脳の生理”について、ほとんど何も知らないに等しいからです。
――神経は電気信号を伝えている。
ということを最初に確信したのは――
18世紀イタリアの医師・解剖学者のルイージ・ガルヴァーニでしょう。
ガルヴァーニ以前は、
――神経は何らかの液体を運んでいるのではないか。
と考えられていました。
ガルヴァーニは、何らかの目的のためにカエルの足の神経を剥き出しにし、その神経に2つの金属片で触れたところ、火花が飛び散るのを偶然、目にしたと考えられています。
その際に、死んでいるカエルの足が動いたことから、
――神経
と、
――電気信号
とを結び付けて考えるようになったのです。
ガルヴァーニが確信した電気信号の「電気」は、今日でいうところの電解質(イオン)に起因する事象でした。
が、当時、電解質の概念は存在しません。
この概念の定着は、19世紀イギリスの自然哲学者マイケル・ファラデーを待たなければなりませんでした。
ファラデーは、いわゆる電気分解の法則を定式化する際に、電解質の概念を頻繁に用いたことで、その定着に寄与しました。
その後、100年くらいかかって――
神経が細胞(神経細胞)から成り立っていること――その細胞を包む膜(細胞膜)の内側と外側とに電気が帯びていること――その電気は細胞の内部および外部を満たしている電解質に起因していること――その電気はごく短い間に劇的に変化をすること――
などがわかってくるのですが――
ここで僕が述べたいのは、
――現在の“大脳の生理”に対する理解は、ファラデー以前、あるいは、ガルヴァーニ以前の“神経の生理”に対する理解に等しいのではないか。
ということです。
今日、僕らが“大脳の生理”について考えることは、例えば、“神経の生理”について、電解質の概念を用いずに考えること、あるいは、神経と電気信号とを結びつけずに考えること、に通じるといえます。
“神経の生理”の研究者たちの中には、たとえ雑談であっても、“大脳の生理”には正面から触れようとしない人たちが多いのですが――
その気持ちは、よくわかります。