マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

日本人は“広い思考”が苦手

 ――本質的思考(批判的思考)

 ――確認的思考(懐疑的思考)

 ――創造的思考(逸脱的思考)

 に次ぐ4つめの思考として、

 ――改善的思考(拘泥的思考)

 が挙げられる――

 ということを――

 2日前の『道草日記』で述べました。

 

 ――広さ・狭さ

 や、

 ――明るさ・暗さ

 に着目をすると――

 

 ――広くて明るい思考

 が、

 ――本質的思考(批判的思考)

 で――

 

 ――広くて狭い思考

 が、

 ――創造的思考(逸脱的思考)

 で――

 

 ――狭くて明るい思考

 が、

 ――改善的思考(拘泥的思考)

 で――

 

 ――狭くて暗い思考

 が、

 ――確認的思考(懐疑的思考)

 です。

 

 概して――

 日本人は、

 ――本質的思考(批判的思考)

 や、

 ――創造的思考(逸脱的思考)

 が苦手であり、

 ――改善的思考(拘泥的思考)

 や、

 ――確認的思考(懐疑的思考)

 が得意である――

 といってよいでしょう。

 

 それは――

 取りも直さず、

 ――日本人は“広い思考”が苦手であり、“狭い思考”が得意である。

 ということです。

 

 (そうだろうな)

 と思います。

 

 こういう話をして――

 自然と思い出されるのは、

 ――日本人は戦争に向いていない。

 というご老人の言葉です。

 

 存命の方々で――

 太平洋戦争(大東亜戦争)を直に知っていらっしゃる方々は――

 皆さん、当時は10代以下――まれに20代――です。

 

 10~20代で戦争を目の当たりにし――

 その後の75年間を日本人として生き――

 その結果、

 ――日本人は戦争に向いていない。

 という結論に達していることになります。

 

 僕にいわせると――

 その結論は、

 ――日本人は“広い思考”に向いていない。

 と書き直せます。

 

 歴史上、

 ――戦争

 は、長らく、

 ――外交の手段の1つ

 とみなされてきました。

 

 現代においても――

 そのようにみなしている政治家は、少なくとも世界的には、主流でしょう。

 

 国家は、外交の問題を解決するために――

 戦争を始めます。

 

 その戦争を受けて立つ側も、ふつうは外交の延長として受けて立ちます。

 

 よって――

 戦争を続けていて何か不都合が生じたら、

 ――そもそも、なぜ戦争を始めることになったのか。

 を思い返し、

 ――では、別の手段を考えよう。

 となるのが“広い思考”なのですが――

 

 そのように考えるのが――

 日本人は――厳密には「日本人の多数派は」――苦手なのです。

 

 戦争を続けていて何か不都合が生じたら、

 ――よし、その不都合を改善しよう。

 とか、

 ――本当に不都合なのか確認しよう。

 とかと考えてしまう――

 

 そうでなかったら、

 ――神風特攻!

 とか、

 ――本土決戦!

 とかいう発想は、絶対に出てこなかったと思います。